「田村 左次衛門 清隆」について

真田大阪陣略記より
「矢沢同心 『関山 源右衛門』
 祢津同心 『剣持 喜右衛門』
 木村同心 『廣田 岡右衛門』
 我妻(我妻)の五反田村 『左次衛門』
    
  忍びを能くして褒美を頂いた」


田村家の家系図より
 田村 雅楽尉 清宗――雅楽助 清興(吾妻七騎の一人)―・・・
              |   1600年2月6日 死亡
              ―左次衛門 清隆
              |   1619年6月10日 自害
              ―久五郎 重則 ―・・・
                  1670年5月19日 死亡

   左次衛門清隆 初真田左衛門に仕え元和元年大阪城に入る
          帰郷の後元和4年6月10日有事自殺

田村家の言い伝えより(口頭による伝承なので事実である可能性は低い)
  田村の家の人間は長野県から移ってきた。嶽山城攻めの際に間者としてよく働いた。長野県にある家は兄が継ぎ、弟である「雅楽尉 清宗」が五反田村に住み着いた。
 息子の清隆は大阪夏の陣で豊臣方に付いて闘ったが負けて帰ってきた。このときに
「武士をやめて百姓になる」
と言ったらしい。
 ある日、城から偉い人がやってきた。話をしていると、子供がぐずりだした。
いつまでも子供がぐずるので、「偉い人に無礼を働いてしまった。」と子供と嫁を切り、自分も自害した。
(話す人によって自害したのが清隆だったり久五郎だったりしています)

以上。


「雅楽尉 清宗」「雅楽助 清興」は真田昌幸に属して朝鮮出兵(田村家文書)や北条征伐(吾妻記)に参加し知行や褒章を頂いています。
 田村家はおそらく第二次上田城攻めの際に昌幸側に加担して後に帰農したのでしょう。
もう一度武家に取り立てられたいと願い、冬の陣で大阪城へはせ参じてみたが思ったような結果は得られなかった。ならばと夏の陣では徳川方の真田信吉隊に属してみたが召抱えてはもらえなかったのかもしれません。
帰郷して2年後に自害か・・・。

 「忍者であった」といわれている人物なので、その死に方を妙に勘ぐってしまいます。

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コメントありがとうございます

田村20代目様コメントありがとうございます。真田丸のおかげで利根・吾妻郡も盛り上がっているようですね。

雅楽尉達のような土豪たちまではドラマで取り上げられる事は無いでしょうが、代わりに佐助が頑張ってくれているので毎週応援しています(笑)

もし興味がおありでしたら中之条町の歴史史料館にお立ち寄りください。田村家文書が展示されております!

なんか嬉しいです

最近真田丸が流行って、昔祖父が言ったことを思い出して検索したら雅楽尉のことが書いてあって嬉しかったです(*^^*)
鉄砲方の忍者の血を引いてるからか、弟は最近サバゲーにハマってますw笑
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