馬場美濃ご飯

甲陽軍鑑 石水寺物語より 馬場美濃守が武士についてご飯に例えて話している箇所を現代語訳しました。

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さてまた、馬場美濃がご自身の見解で、身分や俸禄の高い武士や逆に身分や俸禄の低い武士について朝晩お与えになるご飯に例えておっしゃいました。

「下々の者たちがご飯を上手に炊くと、固めでもさらりとして一段と味の良さを楽しむことが出来る。まして、柔らかなご飯は当たり前のように美味しい美味しい。

また、下々の者達が下手に炊いたご飯は柔らかいかと思えばまるで武器のようだし、固いかと思えばぐしゃぐしゃしている。これは中の煮えぬ(中まで火の通っていない)ご飯である。

そんなわけだから、固い(頑固で強情な)人と積極的に親しくなろうとするのは良い事だ。人当たりの柔らかい人はさらに奥が深い、例えば綿で針を包んでいるような良い人だ。

さて、人によっては固い(頑固で強情な)人かと思えば嘘を付き、良い武士に嫉妬し、全てにおいて心得を持たず、こびへつらい、そのような有様で腕をひけらかし、さも腕前があるように事を運ぶ。こういう人を「中の煮えぬ人」と言うものだ。

それにつけてもここを良く信玄公はお考えになっていらっしゃるから、原美濃などに職務の権限を与えていらっしゃるのだと推測しているのだ。この原美濃殿は信玄家中の優れた武士であるので、原美濃が生きている間は武田の家中にて「美濃」と名乗るものはいなかった。
永禄7年(甲子)に原美濃が死去されてから、馬場民部もお屋形様の御意を得た上で「馬場美濃」になることができたのだ。

その上、馬場の軍の旗挿物である「黒御幣(くろおんべい)」は小畠入道(小畠 虎盛?)に「ちいの挿物」を願い出てうけ取ったのだ。我等はひとしお小畠山城殿(小畠虎盛)を信頼し尊敬しており、大勢を指揮するときに僅かながらでも作法を知っているようになったのも小畠入道のやり方を探り同じようにしてきたからだ。

さてまた、城取の心得が少しあるのは山本勘助入道道鬼の様々な話(雑談)から学んだものだ。

このようにたくさんの人々から学んできたのだ。」

と馬場美濃守が物語ったのでした。

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