| Home |
2008.12.05
本田忠勝の書状(原文を追加しました)
コピーした史料を整理していたらでてきたので、忘れないうちに現代語訳しておこうと思います。
長野原町史P133より
本田忠勝が真田家家臣『湯本三郎左衛門』に送った書状です。
「小松姫が真田家に嫁いだ天正18年前後のもの」とされています。
真田家御事績だと小松姫が嫁いだのは天正14年前後となっているのですけど・・・天正14年前後の方が正しいんじゃないだろうか・・・・・・・。
〜〜〜〜〜原文〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
切封表書(書状をくるんでいた封書の宛名書きです)
湯本三郎左様 本中務
御宿所 忠 勝
========ここから本文========
尚々一日も書状以申候。 鷹の羽送給候。 満足申候。 委細追而可申候。
乍 幸便 一書申入候。 扨々先日者其元へ参候処、種々御馳走、于今難忘存候。
其已後以書状申入候。 参着申候哉。 伊豆殿御上候事候。
節々申談候。 如何様 来春何とぞ致湯治可仕候。 其節相積儀 可申談候。
神殿へ此中も御噂申出候。 弥 ぬまた我々むすめ方へ御懇志 頼入申候。
其様御内さまへも言伝申し候。 恐々謹言
卯月17日 忠 勝(花押)
〜〜〜〜〜意訳〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
先日は鷹の羽を送っていただきましてありがとうございました。とても満足いたしました。改めてまた御礼を致したいと思います。
手紙にて申し上げます。
さてさて、先日貴方様の所へ行ったおりには、たくさんのご馳走でもてなしていただきましたね。今でも忘れられません。
あの後の事を(すでに書状にてお伝えしましたが)直接そちらへ参って申し上げたいと思っています。
真田信之殿が御上がり(京都や大阪へ上洛か?)するとの事ですので、いくつかの事についてお話し合いをしたいと思っています。
どうでしょう、来春に草津温泉で湯治をしたいと思っています。その時に互いに積もるお話をしませんか。
私も神殿(人名か?)へ最近の噂などを報告して参りました。
沼田の皆様がますます我々の娘の方へ親切にしていただけるようにお願い申し上げます。
そのように(あなたの)奥様へもお伝えしていただけますか。
湯本三郎左衛門様へ
本田中務忠勝より
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
草津温泉の主・湯本家は接待のスペシャリストだったようです。
長野原町史P133より
本田忠勝が真田家家臣『湯本三郎左衛門』に送った書状です。
「小松姫が真田家に嫁いだ天正18年前後のもの」とされています。
真田家御事績だと小松姫が嫁いだのは天正14年前後となっているのですけど・・・天正14年前後の方が正しいんじゃないだろうか・・・・・・・。
〜〜〜〜〜原文〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
切封表書(書状をくるんでいた封書の宛名書きです)
湯本三郎左様 本中務
御宿所 忠 勝
========ここから本文========
尚々一日も書状以申候。 鷹の羽送給候。 満足申候。 委細追而可申候。
乍 幸便 一書申入候。 扨々先日者其元へ参候処、種々御馳走、于今難忘存候。
其已後以書状申入候。 参着申候哉。 伊豆殿御上候事候。
節々申談候。 如何様 来春何とぞ致湯治可仕候。 其節相積儀 可申談候。
神殿へ此中も御噂申出候。 弥 ぬまた我々むすめ方へ御懇志 頼入申候。
其様御内さまへも言伝申し候。 恐々謹言
卯月17日 忠 勝(花押)
〜〜〜〜〜意訳〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
先日は鷹の羽を送っていただきましてありがとうございました。とても満足いたしました。改めてまた御礼を致したいと思います。
手紙にて申し上げます。
さてさて、先日貴方様の所へ行ったおりには、たくさんのご馳走でもてなしていただきましたね。今でも忘れられません。
あの後の事を(すでに書状にてお伝えしましたが)直接そちらへ参って申し上げたいと思っています。
真田信之殿が御上がり(京都や大阪へ上洛か?)するとの事ですので、いくつかの事についてお話し合いをしたいと思っています。
どうでしょう、来春に草津温泉で湯治をしたいと思っています。その時に互いに積もるお話をしませんか。
私も神殿(人名か?)へ最近の噂などを報告して参りました。
沼田の皆様がますます我々の娘の方へ親切にしていただけるようにお願い申し上げます。
そのように(あなたの)奥様へもお伝えしていただけますか。
湯本三郎左衛門様へ
本田中務忠勝より
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
草津温泉の主・湯本家は接待のスペシャリストだったようです。
てるてる
いつもありがとうございますvv
何回読んでも暖かく可愛い書状ですよね!!もう大好きですvv
徳川家康=内府様と思い込んでいたので、まったく疑問にもおもいませんでした。
慌てて家康年表を調べてみたら、徳川家康が内大臣の位を朝廷から頂いたのは慶長元年でした。
天正14年に内府様と呼ばれるはずがないですね(恥)
お内さま=嫁の解釈で良いと思います!
間違いを見つけていだたいて本当に助かりました。やっぱり原文も紹介して良かったですvvv
この時期(天正14年前後)の岩櫃城城代が誰なのか、謎ですよね〜〜〜〜。
天正10年からこちらの岩櫃城は昌幸公がしょっちゅう出たり入ったりしているので正式な城代は置かなかったのかなあと思っています。
(上田に昌幸⇔岩櫃に昌幸 沼田に矢沢という体制だったのかなあ???と悩み中です)
湯本氏は岩櫃城の警護を任されつつ、長野原城と羽根尾城の城代に専念していたのかもしれません。
天正17年を過ぎてから矢沢頼綱が入っているのはっきりしているんですけどね〜。うう〜〜んうう〜〜ん。
何回読んでも暖かく可愛い書状ですよね!!もう大好きですvv
徳川家康=内府様と思い込んでいたので、まったく疑問にもおもいませんでした。
慌てて家康年表を調べてみたら、徳川家康が内大臣の位を朝廷から頂いたのは慶長元年でした。
天正14年に内府様と呼ばれるはずがないですね(恥)
お内さま=嫁の解釈で良いと思います!
間違いを見つけていだたいて本当に助かりました。やっぱり原文も紹介して良かったですvvv
この時期(天正14年前後)の岩櫃城城代が誰なのか、謎ですよね〜〜〜〜。
天正10年からこちらの岩櫃城は昌幸公がしょっちゅう出たり入ったりしているので正式な城代は置かなかったのかなあと思っています。
(上田に昌幸⇔岩櫃に昌幸 沼田に矢沢という体制だったのかなあ???と悩み中です)
湯本氏は岩櫃城の警護を任されつつ、長野原城と羽根尾城の城代に専念していたのかもしれません。
天正17年を過ぎてから矢沢頼綱が入っているのはっきりしているんですけどね〜。うう〜〜んうう〜〜ん。
2008/12/08 Mon 10:33 URL [ Edit ]
和泉
こんにちはてるてるさんv
わあ!忠勝殿の書状の追加がされている!大喜びですv
可愛いですよねこの書状、娘を思う父親の姿というか何というか
そういうのがかもし出されていて大好きなお手紙ですv
その宛名が湯本氏っていうのもまた・・・多分この時期に湯本氏が岩櫃城の城代やってた
のかしら?とも思うのですが、湯本氏、なかなかに侮れない御方ですね。
あ、あとちょっと気になったのですが、最後の「お内さま」は湯本氏の嫁のことじゃないかなぁ、
と思うのですが。
湯本氏に対して忠勝殿から「(俺の娘大事にしろよって事を)嫁にもちゃんと伝えとけよ!」と言っているのかと。
この時期に家康の事を「内府」と呼んでる家臣がいたかなぁと思うのと、この書状で湯本氏に対して忠勝殿が謙譲語使ってる様子が無いのでここもそんなカンジかなーと。。。
私がそう読んでただけなので、もしかしたら間違ってるかもしれません〜。
あやふやで申し訳ないです(ぺこり)
わあ!忠勝殿の書状の追加がされている!大喜びですv
可愛いですよねこの書状、娘を思う父親の姿というか何というか
そういうのがかもし出されていて大好きなお手紙ですv
その宛名が湯本氏っていうのもまた・・・多分この時期に湯本氏が岩櫃城の城代やってた
のかしら?とも思うのですが、湯本氏、なかなかに侮れない御方ですね。
あ、あとちょっと気になったのですが、最後の「お内さま」は湯本氏の嫁のことじゃないかなぁ、
と思うのですが。
湯本氏に対して忠勝殿から「(俺の娘大事にしろよって事を)嫁にもちゃんと伝えとけよ!」と言っているのかと。
この時期に家康の事を「内府」と呼んでる家臣がいたかなぁと思うのと、この書状で湯本氏に対して忠勝殿が謙譲語使ってる様子が無いのでここもそんなカンジかなーと。。。
私がそう読んでただけなので、もしかしたら間違ってるかもしれません〜。
あやふやで申し訳ないです(ぺこり)
2008/12/08 Mon 00:29 URL [ Edit ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2008/11/11 Tue 00:50 [ Edit ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2008/11/09 Sun 01:46 [ Edit ]
| Home |
