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羽尾氏の家系図

幸隆の妻の実家とも、母の実家とも言われている羽尾家についてです。

まず一言。似た名前が多くてややこしい!混乱しまくるわ!


ちょっとすっきり。

ネットを使って家系を調べました。


羽尾 治部少輔 景幸(1481~1540)
     |
   治部 入道道運 幸世(1501~1563)
     |
     娘(真田幸隆の妻)
   治部 入道道運 幸全(嫡男)(1521~1563)
   長門守 幸光 (次男)(1526~1581)
   能登守 輝幸 (三男)(1532~1581)
    

なるほど。こういう関係でしたか。加沢記では幸世と幸全が一緒になってたからややこしかったのね。


幸隆が羽尾家を頼ったのが1541年だからその時、
真田 幸隆 28歳

羽尾 幸世 40歳
   幸全 20歳
   幸光 15歳
   輝光  9歳

で、幸隆が岩櫃城を攻めた永禄6年(1563)の時は
真田 幸隆 51歳 

羽尾 幸世 62歳 (討ち死にとも越後に逃れたともいう)
   幸全 42歳 (上記に同じ)
   幸光 37歳 (岩櫃城 城代となる)
   輝光 31歳 (上記に同じ)

幸光・輝光兄弟を助けて岩櫃城をくれてやったのは幸隆のせめてもの情けか
(加沢記では幸隆が、二人を助けた後に信玄に推薦しています)。
・・・もしも、幸光・輝光兄弟が岩櫃城攻めの時に内応しなかったら・・・。 



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No title

ちなみに景幸は別の一族から海野棟綱の養子になって羽尾氏を継いだ人物。
棟綱の娘が幸隆の母という説もあるのでそれに従えば、義理の兄弟でもあり、義理の従兄弟でもある、という。
そして幸隆の娘が海野幸次に嫁いでいる。
ややこしいことに、棟綱のひ孫である幸次と、羽尾の幸世の息子達は海野姓を与えられているので、幸全の嫡男の幸次も海野幸次と言える。
どちらかはわからない。
幸光・輝光兄弟は幸隆は助けたんじゃなくて岩櫃城を攻めあぐねた幸隆が一旦和平と偽って接触した時にお得意の調略をかけて落とした。
ところが81年に昌幸に自害を命じられたそうな。
輝幸の息子の幸貞は矢沢頼綱の娘婿であり、期待されていたがとばっちりで自害。
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