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今年もありがとうございました

中々更新できないHPとブログですが一年間ありがとうございました。

来年はもう少し現代語訳が出来たらいいなと思いつつ、仕事と家庭での身体と心のバランスを取っていけるようにしていきたいと思っています。

来年もよろしくお願いいたします。
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インタビュー一時避難

ザ・インタビューが閉鎖なさるようなので、真田家に関する回答だけここに一時避難させます。後で気力があったら一個ずつまとめるかも。

現在質問は ask.fm/sanadake_BOT で受け付けておりますのでよろしくお願いいたします。


・多くの史料を読んでらっしゃるようですが、その中で特に好きな史料などはありますか? それと個人的なことですが、まだ史料に手を出すまでは至ってないので、よければ背を押してくださると嬉しいです…
私も活字化された史料しか読んでいないのでまだまだです。
でも古文書は敷居が高すぎて。老後にでも挑戦したいですね(笑)

史料の中で一番好きなのは豊臣時代の慶長5年3月に昌幸公が信之公へ送った手紙ですね。
体調を崩した信之公を心から心配しているのがひしひしと伝わってきて、本当に長男が大事だったんだなあとニヤニヤしてしまいます。

史料というと難しそうですが、たとえば町の歴史史料館や民族史料館の入り口においてあるパンフレットや写真付きの冊子から読んで見るのはいかがでしょう。史料に丁寧な解説や現代語訳がついておりますのでとても分かりやすく、いろいろ想像しやすいです。
上田市の「真田氏史料集」や松代市の「松代」 中之条町の「中之条町歴史民族資料館 常設展示解説図録」 大坂城の「真田幸村と大坂の陣」 などの冊子を重宝しております。

また、図書館や大型書店などでちょっとマニアックな本棚を漁って見るのもオススメです。食べ物・着物・遊びなどの棚から室町時代以降の話が書いてあるものを探して読んでいくといろいろと楽しいですよv 私は和菓子の本や昔話の本が好きですねv

自分が何を知りたいのかはっきりさせると読みたいものもはっきりしてきますよv
ちなみに私は幸隆公の逸話が読みたくて真田家御事跡に手を出しました(笑)
幸隆公への萌えで古文も漢文もとても楽しくなりましたよv

無理はせずに歴史探索を楽しんでください。


・botさんは真田家の中に一番好きな人物はだれですか。
真田家は全員大好きです!と、言いたいところですが一番好きなのは幸隆公です。
真田家中興の祖!父祖伝来の地に帰ってきた男!得意技は調略であだ名は攻め弾正!かっこいい!!!

甲陽軍艦で忍者部隊を使ってお館様を助けてる幸隆公も好きですが、名将言行録で長野業政さんに「沼田取っちゃえ」と進められてさくっと沼田へいっちゃう幸隆公も好きですv
一番好きなのは「加沢記」の嶽山城攻めを指揮しているとき!

『真田 一徳斎 幸隆公は即座に諸将に下知を出し、自らは黒糸縅の鎧と鍬形を打った兜を身につけ三尺五寸(約110センチ)の太刀を穿き十文字の槍をさげ、荒井黒と名付けた名馬に白覆輪の鞍を置き、己を先駆けとして300騎9の兵を引き連れて美濃原の向こうにある仙蔵の城へと駆け上がり軍を指揮したのでした。』
この一文だけでもう7年萌え続けております。黒い鎧を身につけ黒馬に飛び乗り颯爽と山城へ駆け上る幸隆公、ああ、もう格好良すぎて涙がでます。(ちなみに大河ドラマ風林火山で幸隆公が黒の鎧で登場したときは思わず悲鳴をあげました。かっこよすぎました。NHKスタッフさんありがとう!)

難攻不落の尼飾城や砥石城も短期間で落としちゃうし、上杉謙信にも「調略では私の方が3か劣る」とか評されちゃうし、頭良すぎるでしょう!
諜報活動も得意でお館様が敵国の領主に「幸隆から話は聞いてるんだぜ?どう、降伏しない?」なんて手紙を書いてるんですよ!

武田家の家臣達にも「幸隆の所はいいよな~。息子がそろいもそろって優秀だし。」と言われてるので子育ても上手!

頭が良く、機を見るのに長け、行動力があり実行するだけの武力も持っている。きっと腹黒。代替安はいつも10個くらい用意してそう。そしてあふれる家族愛。素敵ですよね~vvvvvvv


二番目に好きなのは幸村です(笑)

・よろしければ真田信之公について語ってください!
わーい。久しぶりに真田関連のインタビューをいただきましたv
張り切って答えます。

信之兄上は、むっちゃ俺様気質だと思ってます。
俺の言うことが絶対。俺が正しい。
兵の士気を上手く高められなくて昌幸公に
「なんであんなにやる気の無い部隊を俺に回すんだよ!」
と文句つけて
「大馬鹿者!!!お前がこの間の戦で失敗したから兵が萎縮してんだ。信頼を回復するには時間がかかるというのもわからんのか!!!」
と怒られるぐらい俺様。

昌幸公に対しては考え無しに余計なことを言っては怒られてるイメージがあります(昌幸公も信繁公よりも信之公を可愛がっていたふしがあるので安心して父親に甘えてじゃれあえる事ができる父子だったと思います)。

そんな信之も徳川時代にはいってからは外面はおとなしくしていたようですが・・・昌幸公が死んだ後、何としても葬式を出したいと必死に幕府に働きかけたようで老中から
「おとなしくしてないと危ないですよ。」
と叱れらています。

それから年上の家臣が大好き。
矢沢三十郎頼康が病気で寝込んだときのお見舞いの手紙がかなりやさしい。
「貴方が元気でないと私も調子がでません。」的な事が延々とかかれてます。
出浦半兵衛親子も頼りにしていたようで出浦宛の書状が多い多い。
松代へ転封が決まったときの出浦さんへの手紙は泣けました。

年下の家臣からの人気は絶大で信之公の死後、仏門に入る若い衆も多かったとのこと。

お姉さんの村松殿も大事に思っていたようで、数は少ないですが姉上宛の手紙には
「心配しないでください。」
の言葉が多いです。

信繁公に対してはどうだったのかな・・・・・・。信繁公宛の手紙は残ってないし、大坂の陣であれだけ暴れられたらおおっぴらには色々言えない残せないだろうし。
信之兄上は下の弟達にはちょっと距離があるというか、冷たいというか、そんな印象です。

信之公の子供にたいしては・・・・・・・・・次男の信政との間は最悪ですね。信政が松代藩をおびやかすような事を度々しているのが悪いとは思うのですが・・・・息子がぐれるのは親の責任ですよ。

次女のたい(みつけ院)殿とは仲が良かったようで、贈り物の相談をしたり自分の老後の世話をしてもらったりしてます。

三男の信重にも苦労させられたようで。知行も無いのに家臣を抱えたいと言い出した三男に「駄目!」とお叱りの手紙を出しています。

長男との間は書状も逸話も殆ど残ってないので想像するしかないのですが・・・・・自分自身が嫡男として大事にされてきた人なので長男は大事にしてたんじゃないかな。

徳川家との関係はどうでしょうね。少なくとも3代~5代将軍は信之公のファンだったようですが、良く解らないのが2代目秀忠さん。
秀忠さんは徳川幕府創設の大事な時期の方なので「真田家だけにかまってられるか、こっちは忙しいんだ!!」
というイメージがあります。良く小説で言われるように憎んでいたとかはあまり無いのではと思っています。むしろ外様の割には優遇されてますし。

気になるのは一時お隣さんだった井伊家との関係かな。
出典不明だけど長男信吉と井伊直孝さんがラブラブだったって話もあるし、昌幸公の助命嘆願のときに本田家や井伊家が味方してくれたって話もあるし。
どんなくらい仲良しだったのか気になります。


そして忘れちゃいけない小松姫。king of 内助の功。良く出来たお嫁様ですね。
最近読んだ小松姫の書状が病気の家臣にたいして
「やいと(お灸)をしなさい。療養にはやいと(お灸)が一番です。」
という文面でして・・・・同じような手紙を別の家臣に信之も出してまして。
夫婦そろってお灸好きなんだなあと思いました。
この二人の間も書状が残っていませんが、書状を出さなくても良いくらい信頼しあってラブラブだったのだと信じています。


こんなものかな。
まとめると
信之公の印象・・・ファザコンな俺様
です。

・真田関連でおすすめのスポットがあれば教えて下さい。
おすすめスポットですか。
以前こちらで大体語ったのでよければ参考にしてください。


今まで行ったことがあるおススメ戦国史跡は? - sanadake - ザ・インタビューズ #theinterviews http://theinterviews.jp/sanadake/776038


これ以外ですと、大阪城周辺の冬の陣・夏の陣の遺跡の数々や、幸村達も食べたかもしれない当時のレシピそのままで作られている京都の和菓子だとかになりますかね。

特に妙心寺大峰院で出される蒸し羊羹はオススメ。
現在のような練り羊羹は江戸時代に入ってから開発された製法なので、幸村が大坂にいた頃は蒸し羊羹が普通だったのですよ。当時の味が楽しめます。


・真田太平記の「樋口角兵衛」はモデルがいたんですね。その「樋口四角兵衛」なんですが、大阪の陣まで信繁に仕えて戦後は信州に戻ったとあるのですが、大阪の陣で戦死はしなかったのでしょうか・逃亡とかしたってことでしょうか?
はい、樋口四角兵衛は大坂の陣では戦死しておりません。
大坂夏の陣が終わった後、上田に帰り『渡辺(とへん)』と名を改めました。
平安時代の英雄『渡辺 綱』に負けない武功を立てたぞ!と主張したかったようです。

真田家御事跡を編集した矢沢徳綱が言うには
「樋口四角兵衛の伝説は多いけど、省略するね。樋口家に代々言い伝えが伝わってるよ。」
だそうで・・・・・・。

ひょっとして松代の樋口家に伝わる「樋口家文言『樋口家譜略伝』(明治14年)」に大坂の陣後の話がもっとあるかもしれませんね。同じ苗字の他人の家かもしれませんので確証はありません。
寛永10年の家臣の石高帳(御事跡16巻 P264)に「樋口角兵衛 200石」とあるので松代で信幸に仕えていた可能性は高いですね。

御事跡に「大坂陣の時も君(信繁)に従い武功あり。落城後本国に帰った。」とありますので夏の陣で信繁隊で戦っていたと思います。

夏の陣で逃亡したかどうか。何パターンか妄想はできますが事実はわかりません。
私は次の二つのどちらかなあと。

① 信繁隊が壊滅後に雑兵や民衆にまぎれて逃亡。上田に帰る。
② 信繁隊が壊滅後に何気ない顔をして東軍の真田信吉隊に合流。一緒に帰る。

②は実際に信繁隊から信吉隊に合流して無事に故郷に帰ってる忍者がいるので可能性は高いかも。

信吉隊の戦死者リストは御事跡の17巻にあるのですが生き残りリストは存在しないので確認はとれないのですけどね。


・真田家に興味を持たれたきっかけはなんですか?
幼少時に本家のおじいさんだったかおばあさんに
「うちの一族の先祖は忍者だったんだよ~。」
と聞かされて、大きくなってから調べてみたら真田のお殿様に仕えていた下っ端だったと解ったのが最初でした。

あまりに先祖の足跡がわからなくて、これは幸隆・昌幸・信繁の行動を調べなければ解らない!この三人がかかわった戦なら先祖も参加してるはず!
と思い古書店へ。運よく群馬県史料集を手に入れて加沢記を見てみたら・・・・全然読めない・・・泣きながら辞書を引く毎日。

史料に飽きて『真田太平記』を読んで信幸兄上かっこええええええ!となり史料熱再燃。
史料仲間に出会い御事跡の存在を知る。
ドキドキしながら逸話を読む。
兄上の俺様!!『真田太平記』のトキメキを返せええええええ!

そんなわけで現在に至ります。

あ、もちろん信幸兄上も先祖の上司です。


戦国BASARAに真田家のキャラクターが増えるとしたら誰だと思いますか。
あ~これ、開発者ブログでもう真田家からはキャラが増えないって宣言されたらしいですね。
残念すぎる。もっと真田ファミリーを出してくれたらいいのに!!!

個人的には幸隆公と信幸兄上に出て欲しい!!!

BASARAにこの二人がPCで出たらという妄想はBASARA2が出た時に某所で叫びまくったのでそこからコピペしますね~。


~~~ここからコピー~~~

まずは幸隆公。
何と言っても「攻め弾正」なので、最強で最恐で最凶であって欲しいファン心(笑)

まずは見た目。
銀髪の細身の爺ちゃんで!
第一衣装は白の修験者の着物で。
第二衣装は黒の忍び装束で!小太郎のような羽が着いていたら大満足!!
(幸隆公は黒の鎧兜に黒馬で軍の指揮をとった事があるので黒は譲れないのです!!)

武器は仕込み杖(棒の先から鎖付の分銅が飛び出します)、もしくは巨大ヌンチャクで!

属性は「風」。なぜなら(鉄腕ダッシュで言っていたのですが)修験道に関係ある仏教のとある宗派では「黒は風を表す色」だからです。

BASARA技は白鳥神社の女神様が降臨。幸隆爺ちゃんのおでこにチューをすると半径5mの範囲に槍が降り注ぎます。濃姫のBASARA技と似ています。(幸隆公は白鳥神社の女神様にピンチを救われた逸話があるのです)

台詞は「真田一族同盟」さまのところからテンプレートをおかりして語ります。

◎武将選択時
・この隠居爺に御用ですかな

◎合戦選択時
・若いのと遊んでやるか
・さて、参りますか

◎バサラゲージが溜まった時
・いきますぞ

◎アイテムを獲得した時
・ありがたい

◎バサラ技発動時
・これも功徳

◎バサラ技終了時
・怨まれるな

◎敵武将を倒した時
・油断めされたな

◎多数の敵兵を倒した時
・まだまだ

◎門を突破した時
・随分ともろい守りで

◎敵拠点を制圧した時
・真田がいただいた

◎自軍の増援が来た時
・おお、ありがたい

◎戦況が有利になった時
・気を引き締めよ

◎戦況が不利になった時
・大丈夫だ。わしがいる。

◎体力が少なくなった時
・ちとこばらが空いたな

◎勝利イベント時
・人の和を斬ればたやすいものよ

◎天下統一した時
・真田の働き、お館さまに捧げましょう

◎ゲームオーバー
・わしが死んでも・・・真田は残る・・・

◎『ハンマー忘れた!』装備時
・おお、わしとしたことが

◎○○登場
北条氏政
・弟と息子が世話になったね

風魔小太郎
・素晴らしい腕をしている。どうだ、真田で仕えぬか。

織田信長
・礼を忘れた駄犬が。躾け直してくれる。

濃姫
・違う時、違う場所に生まれていればの

蘭丸
・元気の良い小童じゃの

松永久秀
(そなたからは・・・郷愁をいただこうか)
・ならば見返りにそなたの欲をもらおうか
(くくく・・・怖い怖い)

上杉謙信
・お館様は渡さぬ

直江兼続
・現実を見る気は・・・無いだろうな

かすが
・のう、上杉殿を連れてどこかへ行かんか

伊達政宗
・これはこれは、随分と可愛らしい竜だこと

片倉小十郎
・守り抜くとは良い心がけ

徳川家康
・子狸狩をはじめるか

本田忠勝
・しょせんカラクリ。人の知恵には勝てぬ。

いつき
・「巫女殿 我等の非道をお許しあれ。」
・「一度、御館様とご相談めされよ。決して悪いようにはいたしませぬ。」


次は信幸兄上。

キャラクターとして、重度の「ガ○ダムオタク」であって欲しい。某カエル軍曹とタメを貼れる位で。
属性や攻撃方法・武器などがまったく思いつかないのでストーリーをば妄想。

第一話
武田軍に攻めかかる徳川軍。
家康にたどり着くもホンダムに邪魔されてトドメをさせず。
家康とホンダムが飛び去った空を眺めてぼーっとする信幸。
幸村「兄上、いかがなされた。」
信幸「俺の理想があそこに・・・。」
こうして信幸はホンダムに近づくために徳川家へ出仕することを決めたのだった。

第二話 
徳川家への口利きを頼もうと長宗我部元親へお願いに来る信幸。
信幸「元親殿は家康殿と親しいと聞きました。なにとぞ私を徳川家に紹介してくだされ!!」
ひとしきりメカについての魅力を語り合った後に元親と友情が芽生える。
元親「そういや本田には娘がいるって話だぜ。その娘と恋仲にでもなればお前、本田の親戚だぞ。」

信幸の目が怪しく光るのであった。

第三話 
徳川家への献上品を探す信幸は珍しい物がたくさんあるというザビー城へ潜入。
ザビーを倒して見事南蛮のカラクリを手に入れるのであった。

第四話
徳川家に出仕を許してもらおうと徳川軍に急襲をかける信幸。
信幸「わたくし、どうしても家康様にお仕えいたした・・・・・本田どのおおおおおおおお!!!娘さんを私にください!!(土下座)」

こうして信幸は徳川家に仕える権利と本田家の婿の立場を手に入れたのでした。

第5話
兄上を呼び戻そうと徳川家にやってきた幸村。
信幸がどうしても渋るのでついにガチンコの兄弟喧嘩に。
『兄弟対決!!』
のでかいロゴが欲しい所。
最期に
幸村「兄上がそこまでお心を決めているのならば今回は諦めます。しかし、この世で一番の大名はお館さばああああなのです!!」
と去っていく幸村。
後年、ホンダムにそっくりの甥っ子が生まれたとかどうどか(笑)

ちなみに、幸村に猿飛佐助が付いてるんだから信幸には出浦盛清が付けばいいと思います!!

~~~コピーここまで~~~

BASARA2の時の妄想だから古いなあ。
3にいつきちゃんやザビーいないのに(笑)

この妄想でぐるぐるしてたころ、某蒼紅サイト様で理想のガンオタ兄上を見つけたのだけどあのサイト様まだやってるかなあ。
久しぶりに読みたくなりました(笑)


・秀忠公と伊豆守様は疎遠だったとの痛切でしたが、最近は秀忠公時代の真田家も徳川幕府譜代としてある程度優遇されていたという説があります。そこらへんについての見解をお聞かせください
真田家御事跡と真田家文書をひっくり返して元和2年(1616)家康の死去~寛永9年(1632)秀忠の死去までの間の史料を読んできました。


信濃史料集第16巻の大鋒院御事跡 巻の6~8に載っている信之公の幕府での政務がこの期間はスコーンと抜けているようなのです。
家康が生きている間は江戸の町を普請したり、取り潰した大名のお城の受け取りに行っていたりしているので幕府の申し付ける仕事にかかわっていた事は間違ないのですが・・・(家光の時代にもあれこれ呼び出されています)。

松代へ転封したから公務は免除されたのか、それとも信之を幕府から遠ざけていたのか、真田家側からの史料だけでは何とも判断できません。

私は未確認なのですが、信之の次男「真田 内記 信政」が分家させてもらい大名として身を立ててもらった元和8年(1622)に譜代大名の嫡子しか通されない『雁間』という部屋に通されたという話を聞いたことがあるのでもしもこの話が本当であれば秀忠の時代にも『譜代大名並』の扱いをされていたということになります。

(信之がいつから譜代大名しかなれない「帝鑑間詰め」の地位を手に入れたのかもはっきりはわかりませんでした)

御事跡によると将軍秀忠から信之への書状も何枚か残っているようです。その全てに秀忠の花押が書いてあるそうですのでかなり秀忠から礼を尽くされていたとは思います。
その中に一通だけ、秀忠が信之を案じている書状があります。

「それ以来連絡をしなかったので一筆申し上げます。内々に上洛するように申し付けていましたが、去年の冬からの病気が回復したとは言えどもいまだに登城できる体ではないでしょう。上洛は遅くなってもかまいません。これからもそちらの状態を連絡してください。

   3月9日     秀忠 花押
       真田伊豆守殿」

信之を見張りたかったのか、それともその身を案じていたのか。

個人的には、優遇とまでは行かなくても『信之』という人材を有効活用されていたのではないかと思っています。

・史料は主にどこで入手していらっしゃるのですか?
本を丸ごと欲しい時はインターネットで。
日本の古本屋 http://www.kosho.or.jp/servlet/top

を重宝しています。

たまに史料読み仲間から「うっかり2冊買っちゃったから1冊どう?」ともらったりすることも。

各市町村史や昔話・逸話などは室町時代中期~江戸時代初期が欲しいので図書館でひたすらコピーです。

論文は紀伊国屋やジュンク堂などの超大型書店の歴史コーナーや郷土史コーナーで手に入れることが多いです。それでもなかったら
・ 岩田書院  http://www.iwata-shoin.co.jp/
・ 思文閣   http://www.shibunkaku.co.jp/
から直接通販するか、古書市にでかけて出会えるまで数年単位で探します。

史料読み仲間は良く国会図書館にも出かけているようですが、私はまだ行った事がありません。

集めてざっとしか読んでない史料が多いのでじっくり読み込みたいと思いつつ、部屋の隅に積んどく状態になってしまっています・・・(反省)

・幸村について語ってください
ええと、BASARAか無双か真田太平記とかそういう指定が無いってことは自分の中の幸村像でいいのかな????

真田家御事跡を読んでいて思うのは「外面の良いやんちゃな男の子」。

試し切りをしすぎてもらった刀をことごとく駄目にしてるとか(研ぎに出せば良いものを)大谷さんからもらった刀を盗まれて怒り狂った挙句に樋口四角兵衛を放逐してしまったり、その後で昌幸パパから
「家臣を大事にしなきゃ駄目」
って怒られて憤慨して顔を真っ赤にしながら泣いちゃうとか(笑)

樋口四角兵衛を許した後で街で他人の喧嘩に首を突っ込むんですけどそのせいで樋口四角兵衛が怪我をするんですね。
そのことにびっくりしておろおろしている様子をみると、家臣達が自分に対して何か働きかけてくれるって事に慣れてないなあと思います。

家臣が自分の為に動いて当然って思っている信幸兄上とはそこが一番違うなあ。

信幸兄上は昌幸パパにぶーぶー文句たれたり割りと近しい立場で会話している逸話がいくつかあるのですが、幸村と昌幸パパの逸話だと幸村がいつも一歩引いてる感じがします。
幸村が登場すると敬語表現が多くなるので文章が硬く感じます。

江戸時代に作られたイメージも入っているのでしょうけど「跡取りではない=兄の臣下になる」教育をされて育ったのでしょうね。有名な「信繁は典厩様にあやかってつけた名前だ。」という逸話も本当なのかもしれません。

信幸兄上はお中元とか息子への贈り物を送り忘れて娘(たい殿)に叱られていたりするのですが、幸村は何かあるとすぐに家臣に褒美を与えていたりするので周囲にたいしては常にそつなく暮らす癖がついていたと思います。人質生活が長かったですからね~。周囲にあげられる物があったらすぐプレゼントして自分の評判を上げておく事が大事だったのでしょうね。


加沢記では幸村はものすごく影が薄いので上州の土豪達にはなじみのうすい若様だったんだろうな~。

昌幸パパや信幸兄上の世間でのイメージが強すぎて、大坂の陣がなければこの人は歴史に埋もれていたでしょうね。

それでもそれでも、「幸村が大阪城にいるから」と大阪城に駆けつけた人達もたくさんいました。人徳がある御仁であったと思います。

・今まで行ったことがあるおススメ戦国史跡は?
一般人向け
・岩櫃城
・真田本城
・月山富田城
・竹田城
・姫路城
・彦根城
整備されていて登りやすいですし、堀や土塁がしっかり残っています。
竹田城は石垣も残っていて風光明媚です。
姫路城や彦根城はお城そのものが残っているので楽しいです。

・武田神社
周囲の武家屋敷跡も含めてゆっくり巡るのがオススメ。
家臣団の家の配置に想像力をかきたてられます。


真田幸隆公のファン向け
・白鳥神社
幸隆公のご先祖様にあたる海野家の始祖が祭られています。幸隆公が上州へ落ち延びるときに助けてくれたのはここの女神様v

・羽尾城
上州落ちした幸隆公が暫くやっかいになっていたであろう羽尾氏のお城。すごく狭いです。

・仙蔵の城
黒馬・黒い鎧で幸隆公が駆け上ったお城。登山道が無いので登るのは危険。

・箕輪城
上州で幸隆公がお世話になった長野業政公のお城。保存状態が素晴らしいので城郭ファンにもオススメ。

・小諸城
現在残っているのは江戸時代の建物ですが、一時期幸隆公が城代だったということを考えると訪ねる価値あり。駅前の揚げ饅頭がうまい。

・砥石城
幸隆公のみが落としえた難攻不落の山城。後に昌幸や信之も走り回ったお城ですので真田ファンだったら行くべし。

・真田町の長谷寺
幸隆公が晃雲和尚のために立てたお寺。幸隆公のお墓もあります。


・尼飾城
幸隆公が落とした松代の要害。とにかく急峻な山なので登るのが大変。

・松代の川中島
甲陽軍艦片手にどの当たりに幸隆公が陣を張ったか探すのがとても楽しいvvvvv

・川原湯温泉
岩櫃城攻めのときにこの温泉の近くに本陣を置いているのできっと幸隆公も温泉に浸かったはず。古傷に湯がしみて泣きそうになったに違いない。痛む傷跡に湯本さんに河童の妙薬を塗りこまれて更に泣いたに違いない。



幸村のファン向け
・九度山の建物いろいろ
真田庵は絶対ですが、それよりも奥にある慈尊院や丹生官省符神社がオススメ。慈尊院の土塀は室町時代に作られた当時のままの様子が残っているので幸村も実際に見ているはず。ひょっとしたら触っているかも(笑)丹生官省符神社に幸村が刀を納めたという伝説もあるので本当かどうか知りたいです。

・丹生都比売神社
幸村が書状で「お腹壊したので行けません。また誘ってください。」と言っていた神社。
この場所に遊びに来たかったのだなあと感慨深かったです。が、あの真田家の次男坊の事です、こっそり家族連れで遊びに行ったに違いないと思っています。

・大阪城
現在の大阪城は徳川家が立て直した物を再現していますが、それでも大阪城は大阪城です。
天守閣の歴史博物館も充実していて楽しいです。

・真田丸跡
何も残っていませんが、周辺の地形で真田丸の在りし頃を想像することはできます。

・茶臼山
大坂冬の陣では家康が、夏の陣では幸村が本陣を敷きました。
小山の上に立つだけで感動できます。

・安井神社
幸村最期の地。


昌幸公のファン向け
・岩櫃城の麓の潜竜院跡
勝頼様をお迎えするために作った屋敷の跡がある。ちなみに屋敷の一部は東吾妻町の顕徳寺
に移築されたらしい。


信之公のファン向け
・仙人窟
信之公がかかわった戦の中では一番有名な場所ではなかろうか?500騎の武者が洞窟に隠れたという話だがあんな狭いところにそんなに隠れられるはずが無いと思う。


・伏見の屋敷跡
何も残ってないです。2件あったとされている信之公の屋敷跡ですが一件は川の底。もう一件は宮内庁管轄の林の中です(笑)ああ、この辺にお屋敷があったのね、と感動してきました。

・松代の大鋒寺
信之公が隠居暮らしを送った家の跡。この近所の池でとうかんすが釣り上げられました。



真田忍者が好きな人向け
・割田下総のお墓・出浦盛清のお墓・田村左次衛門清隆のお墓
   場所は内緒。

・水牢の跡
主に尋問に使われていたようです。

・鳥居峠
猿飛佐助が修行したという伝説がある。

・岩櫃城の天狗丸
忍者や修験者の溜り場だったそうな。

まだまだたくさんあるけどとりあえずはこんな所かな?
沼田城は公園になってるし、上田城は仙石氏が立て直しているのであまりオススメではありません。

いつか関が原や名古屋城にも行ってみたいですね。

眠気と胃痛

薬を変えた所、自殺したいという気持ちは大分なくなりました。
眠気はあるのですが、これは胃痛から来ていると考えています。

胃痛と下痢とがあるので少しお腹の風邪かなあ。
整腸剤を飲んで様子を見ています。

眠りたい。一日中眠りたい。

お薬変更

心療内科にて、この一週間死にたくて堪らなかったこと、眠くて仕事にならなかったことを話して薬を変更してもらいました。

お医者いわく、そんな副作用が出る量じゃないんだけどね〜。よっぽど体とSSRIが合わないんだね〜と。

新しいお薬は「スルピリド錠50mg」
明日から仕事ができるといいなあ。

朝と夜でテンション違いすぎる

朝、仕事に行くも気持ちが沈み「もうダメだ!」って気持ちでした。
午後は外回りの最中に一時間眠りました。

もう、まるで仕事にならない。
薬のせいなのか、私の気持ちが逃げてるだけなのか、自分で判別つきません。

明日、医者に行ってこのお一週間の事を話します。
いっそ休職してしまおうか。
もう、職には付けなくなってしまうだろうけど、もう駄目な気がします。

死んでしまいたい。

年賀状

今日は疲れて眠くて仕方なくて午前中に爆睡。
午後は旦那に起こされて年賀状を作りました。
いろいろ選ぶ気力がないので最初に目についたデザインで決定。

印刷を済ませた後、いままでなら友達に出す分に近況を一言書くのですが・・・今回は辞めることにしました。

今日の体調
頭痛
気持ち悪い
眠い

そういえば、今日は死にたいってあまり思わなかった。副作用少し減ってきたのかな?

墓参り

今日は親戚と墓参りへ。
本当は家で休んでいたかったんだけど、これも嫁の務めだし、少しでも引きこもろうとする癖は直したほうが良いので参加。

SSRIの副作用である気持ち悪さと不安感と、自殺したいという気持ちを腹に抱えつつ世間話をして笑って帰ってきました。
旦那に
「お年寄りとの会話スキルが上ったね~。」
と褒められました。

まだ、体力があるな・・・と思いました。
演技するだけの体力と気力がまだある。

早く副作用が収まるといいな。
もしくはメイラックスだけに戻したいな。
気持ち悪いのも死にたいのも正直しんどい。

今、仕事を休職したいな~~と思っていますが旦那には反対されています。
一つに、私の社会不安は仕事が原因ではないので仕事をやめたり休んだ所で回復はしない。
一つに、せっかく社会的なスキルを磨いているところなのだからもったいない。

旦那の言うことももっともなので、休職したいという意思は医者には伝えていません。
次の診察の日に薬変わるのかな。

疲れた

朝起きたら、疲れて疲れて何をするのも億劫で、生理痛がひどいと嘘をついて仕事をやすみました。
午前中しっかり眠ったのに、疲れて気持ち悪くて頭が痛い。そして死にたい(自殺念慮と言うらしい)


どうも新しい新しいお薬の副作用っぽいです。
今飲んでいるのは
・レクサプロ錠5mg
・ロフラゼプ酸エチル錠1mg(以前飲んでいたメイラックスのジェネリック剤です)
・抑肝散加陳皮半下

あとは吐き気止め。

私の症状が社会不安(対人恐怖)症なのであれば、薬では治らないっぽいことがネットに書いてありました。
自分で自分の性格を変えていくしかないらしい。

なんか、いろいろ無理な気がしてきた。

眠気がすごい

お医者からもらった薬を飲んで出社したら、あまりの眠気に朝礼中爆睡してしまった。
怒られる前に自分で上司に事情を説明して事なきを得た。


社内で眠ってしまうのは良くないので、外回りの時に内緒の穴場で眠ってきたけどまだ眠い。
仕事にならないのは困る。

今日は医者が休みなので、明日電話して相談することにした。

・・・・決断をしたほうがいいのかなあ。

不安定

今日は一日中死にたくて死にたくて禄に仕事になりませんでした。

午後になって少し躁状態になってからぼんやりと
「思い通りに行かないからと死にたがるのは我儘だなあ。」
と思ってみたり。

医者いわく、
「あえて病名をつけるとしたら『社会不安症』」
とのことなので鬱ではないらしい。

重ね履き靴下の予備が届いた。
嬉しい。

心療内科に行ってきました

いろいろ話して今飲んでいる薬に一つ薬を足す事になりました。

子供を生む夢がどんどん遠くなるなあ


先生は笑顔でいろいろ聞いてくれるのですが、聞かれれば聞かれるほどイライラしました。
なんなんでしょうね。

心療内科を予約

今朝は落ち込んではいましたがご飯も食べれたので無事に仕事にいきました。
午前中はしんどかったですが、午後からハイテンションになりました。

少し躁鬱状態です。

かかりつけの医者に心療内科か精神科を受診するように勧められたので、会社の近くの医者に予約を入れました。
来週行ってきます。

あまり薬を使わない医者だといいなあ。

朝起きたら

珍しくゲーゲー吐き気がしないので朝ごはん食べれるなあと思ったのですが、ご飯を前にした途端にボロボロと涙があふれて止まらなくなり、とにかく逃げなくちゃという気持ちになりテーブルの下に潜り込んでワーワー泣きました。

さすがに様子がおかしいと気づいた旦那が上司に電話して今日は休むことになりました。

半日爆睡して、おきてからはずっと携帯ゲームをやっていたので頭が痛いです。

明日、仕事に行けるんだろうか。

靴下重ね履き

爪先の冷えを取ると鬱状態に良いと聞いたので重ね履き用靴下を買ってきました。確かに足が冷えないと体は楽ですがあまり気分は変わらないかな。
安定剤の方が効きます。

しばらく続けてみて様子を見ます。
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