加沢記にちょっと追加

謙信が嶽山城の斎藤家に味方するよ~という噂を聞いて慌てた信玄公が箕輪城までやってきました。

その時に鎌原さんに下した命令を訳しました。

意訳すると
「鎌原の一党で高崎・藤岡・甘楽郡・安中に放火して食糧を略奪する事。この命令を実行している間は最前線の指揮を執ってる真田の言う事は聞かなくていいよ。」
というもの。

放火・略奪の範囲が広すぎる!!!

上杉謙信は三国峠を通って沼田にやってくるのに、なぜに高崎や安中という群馬県の中央や南西部を放火するのだろう。沼田を含めた北東の方を略奪するほうが打撃でかいんじゃないかなあと思うのですが、まあ素人にはお館様の深淵まではわかりません。

合戦が起こると戦場以外の広い地域でも被害が出るという例でした。
ほんとに、安中や藤岡の人はたまったもんじゃなかったと思います。やるんなら吾妻郡と利根郡の中だけにしろよとおもいますね~。

石田三成の書状

昨日は真田家文書の上巻に納められてる石田三成から真田信幸への書状をひたすら意訳して「真田家BOT」に放り込んでました。
真田家文書は買ったまま軽く眺めてただけだったんだけど、真面目に読んだらめっちゃ面白かったです。

信之兄さんが本田忠勝と石田三成を仲介して手紙の橋渡しをしてるんですけど、
(ああ、信幸兄さんが徳川家と豊臣家を取り持ってたのね。かっこいい!)
という思いと
(あ~あ、兄上両方からパシらされて(笑)可愛そう(笑))
という思いに挟まれて笑うべきなのか萌えるべきなのか良く分からなくなりました(苦笑)

やはり大谷吉継さんから昌幸パパへ送られた「茶道のお稽古ちゃんとやってる?」の書状が好きです。
もう大好きです(笑)
きっと昌幸パパは大慌てで茶道の復讐に励んだはず(大笑)

さて、加沢記に清野氏がもらった書状を追加しました。
信玄公がか~な~り気を使ってまして、
「奥信濃から帰ったばかりの所悪いんだけど上州まで一徳(幸隆公)を助けに行ってくんない?本当に悪いね。よろしく!」
って感じの書状でした。

清野氏って大きな勢力だったのかな?信濃衆は全然詳しくないので後で調べてみようかな~。

加沢記に少し追加。

「加沢記に挑戦」に少し追加。

城子丸と一緒に嶽山城にたてこもってるメンバーに割田下総がいるんだけどどういう事なのかな~~~。
そういや、岩櫃城攻めの時も斎藤家側に「割田」っていたよなあ。

吾妻記によると割田下総は元々武田家側にいて、川中島合戦にも何度か参加してるらしいんだけど・・・・・。
ついでに「真田藩政と吾妻郡」うによると割田下総は矢沢頼綱の息子って話なんだけどな。

推測1 武田家・真田家に仕えた割田下総とは別人
推測2 割田下総は元々吾妻の土豪であったが、斎藤家滅亡後真田家に仕えた。江戸時代に家系図を捏造した。
推測3 割田下総は武田家・真田家の密偵として長い事斎藤家に潜伏していた。

個人的には推測3であって欲しい。
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