旦那のリクエストで、長州藩の萩へ行ってきました。

ついた日はまるで台風のような暴風雨でした。
そんな中目指すは萩城!

あまりの強風で傘が一本ぶっ壊れ、萩城公園のお土産屋さんで買うはめに。
大雨の中、天守閣や萩城跡の神社を見学した後で旦那が恐ろしいことを言い出しました。

「さあ、指月城へ登るぞ!」
え、ちょっと、待って。今ものすごい勢いで雨降ってるんですけど!さっき暴風で傘壊したばっかりなんですけど!!!
萩の城

・・・・・・・・登りました。標高147mの山を暴風雨の中登ってきました!!!

山頂から見下ろす萩の景色は大変美しかったのですが、あまりの強風に写真が全てぶれてしまいましたのでお見せ出来ません。
でも登って良かったv
残っていた遺構は毛利家が萩に入ってからの物ばかりでしたが、それ以前の事も説明の看板を読んでいろいろ想像できましたv

無事に下山し、一休みしてから松蔭神社など幕末関連の史跡も廻ってきました。
どこも素敵でしたが、一番印象的だったのはお土産屋さんで売っていた
「月刊 松下村塾」でした。
月刊松下村塾

旦那と結婚する前の、幕末に嵌っていた頃の自分だったら間違いなく全巻購入していたでしょう。
いやあ、良い物を見ました。

翌日は暴風雨も去り、晴天の中とても美しい萩城下を散策できました。
高杉晋作さん家のご近所

昨日晴れていてくれていたらとは思いましたけど、海からの暴風雨のおかげで花粉も気にならなかったし、戦国時代の行軍を疑似体験したと思えば得をしたかな。

また機会があったら訪れたい、蜜柑だらけの風情ある街でした。
本日、3月21日は漫画「へうげもの」第6巻の発売日です。

茶人・古田織部が己の欲望のままに侘び錆びをきわめて行くちょっと珍しい視点から描かれる戦国時代。今回の巻では北野大茶会の様子が描かれています。

と、いうわけで北野大茶会に出されたといわれる菓子「真盛豆(しんせいまめ)」です。
真盛豆 袋


真盛豆

〜〜〜〜〜〜解説〜〜〜〜〜〜〜
北野西方寺の開祖「盛久」「盛春」という尼僧がお師匠様の「聖僧 真盛上人」から伝授され作り始めたと伝わっている。
天正15年の北野大茶会の節、秀吉公に
「茶味に適す」
と賞賛された。

また、当時の文化人細川幽斎もこの豆を味わい
「これは面白き苔むす豆」
と評したと言う。

現在は京都市の菓子司「金谷正廣」が製法を受け継ぎ販売している。
良く煎った丹波産黒豆に大豆粉を幾重にも笠ね、青海苔をかけた優雅な味をご賞味いただきたい。

参考文献 真盛豆の袋 新聞のコラム「菓子ひなみ」
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一つ一つが意外にでかいこの御菓子。
匂いは確かに青海苔。
海苔と餡子ってどうよ???とおそるおそる口に運んでみる。
意外に海苔臭くなく、ほろほろとした餡子と黒豆の香ばしさが素晴らしいバランスで口の中に広がっていく。
決して派手な味ではないが、緑茶と一緒に食べるととてもとてもおいしいv
そしてお腹が膨れる(笑)

きっと抹茶と一緒に食べたらもっともっと美味しいに違いない!

確かにおもてなし向きの一品だと思いました。
二日続けて雨のおかげで花粉が少ないですvvv
頭痛が引いて頭が軽くてとても楽vvv
このままずっと雨でいてくれたらいいのにv

春は花粉で嫌いです。
夏は熱中症になるから嫌いです。
冬は冷え症なので嫌いです。
一年中秋であればいい・・・・(結構切実です)

と、いうわけで頭がはっきりすっきりしている間に少しだけ更新しました。
「斉藤入道没落 併 沼田勢加勢之事 」は長いです。訳しても訳しても終わらない(涙)
読み易いように小分けにしてページ内リンクをつけました。
どなたか、長文が読み易くなるアイデアがありましたら教えてください。

それから、今回は字だけです。地図は国土地理院へ測量データ使用の申請する勇気が出たら作ります。

早く花粉の季節が終わりますように。
2008.03.12 少年の女
少年=(1)年の若い男子。普通、七、八歳から、一五、六歳ぐらいまで。少年法では二〇歳未満、児童福祉法では、小学校就学から満一八歳までの男子と女子。
(2)年が若いこと。幼いこと。
(goo辞書より引用)

加沢記では「少年の女」とは男装した女性ではなく、年若い女という意味で使われています。

初めてこの単語を目にした時は、白拍子や歌舞伎に登場する男装の美人を想像していました。
岩櫃城の女中さん達に男装が流行っていたら・・・それはそれでありかもしれないと思ってました。

普通の女性という事が判明して、ほっとしたようなちょっと残念なような・・・。
2008.03.09 信綱公の枡
風邪のほうは、ぼちぼち治ってきました(旦那と移し合い倒れっこしてました)。
体に大分余裕ができてきたので、ちょっと訳しました。

貫忠漫筆 次郎左衛門話より〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

永禄4年の事です。
真田信綱公は台所へ入ると一斗枡と五升枡をおつくりになられました。
(この他にも6〜7個の枡をおつくりになられたそうです)
一斗枡には9升5合入ります。
五升枡には4升7合入ります。

信綱公は、民の事を考えてわざと少なめに入る枡をこしらえて年貢を少なめに取っていたのでありました。

この一斗枡はその後に真田信幸公も公用に用いたのですがいつのまにか無くなってしまいました。
五升枡は信幸公から娘の見樹院殿へと譲られました。

見樹院殿は大層お優しい方でした。
領内の百姓が年貢を治めに来る時はいつも御簾の内側から年貢の計量をご覧になっていました。
計量には、信幸公からいただいたこの五升枡を必ず使わせました。
枡からあふれた分の米は百姓へ返してやったのです。

見樹院殿は庭先に米を撒き散らし、雀が啄ばむのを見る事を楽しみにしていらっしゃいました。
そこで百姓共は返していただいた米を
「雀の餌にお使いください」
と見樹院殿へ差し上げたのでした。

百姓共は見樹院殿がお使いになられるこの五升枡を「御情枡」と呼んでありがたがりました。
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真田家では領民の事を考えた優しい税収をおこなっていたんだよ〜〜〜という逸話でした。

叔父上から受け継いだ大事な枡をどっかやっちゃった信幸兄上。あなたって人は・・・。