地名地名地名・・・

もう一つのブログでやっている加沢記の訳には、地名にMAPFANで地図をつけているのですが・・・最近地名が拾えなくなってきました。

自分で走り回って調べた場所なら地名がなくても地図上に表示できるのだけど、意識しないで通り過ぎてしまった場所や知らない場所は地名を拾わないと表示するのは無理です。

MAPFANだと小字まで拾えないのですね・・・(いや、YAHOO地図でもgoogleMAPでも小字までは無理ですが)。

地名とバス停名が細かく拾える地図はないかなあ。

今一番気になる地名は群馬県東吾妻町に500年前存在したであろう

松尾の奥 南 光の谷

「光の谷」なのか「南光の谷」なのか不明。なんでそんな素敵な名前なのかも不明。
ヒカリゴケでも生えていたのだろうか? 金に似た鉱物でも産出した土地だったのだろうか?

場所はおそらく松谷の奥だとおもうんだけど確証はありません。
どなたか御存知の方がいらっしゃったら教えてください。

山道強行軍

先日から少しずつ加沢記の訳を再開しています。

今、幸隆公が岩櫃城を攻めている真っ最中です。
その中で幸隆公が信綱公に採らせた進軍ルートがすごい・・・。

道無き道を山頂まで登ってさらに谷まで下るなんて・・・。
昌幸公には街道を通らせてるのに・・・。

吾妻渓谷は馬が通れないから、しかたないとは思うのですが・・・。

何かの本で昌幸以前の真田家は山中の地形を利用したゲリラ戦が得意と書いてあったのを心から納得しました。
ああいう作戦に慣れていれば、山歩きも得意になるさ!

それから唐沢杢之助の事で自分の勘違いを発見。
お猿(後の唐沢玄蕃)を昌幸公の前に連れて行ったのは、唐沢杢之助ではなくて杢之助の奥さんでした!
この時杢之助は大戸方面の守備に出かけていたのです。誰にも気付かれずに沢渡まで戻るのは非常に難しいのでした。
杢之助メモを治しておきました。

いろいろ勘違いしていた部分がわかって恥ずかしいです・・・。
杢之助年表を信じてしまった人がいたらすみませんでした。

名前の持つ力

先日から「中世の再発見 網野善彦+阿部謹也 平凡社」を暇な時にちょこちょこ読んでいます。
この本の最初のほうに『室町時代に大人がわざと童名を名乗る事例とその効果』について少しだけ考察がされています。
要約するとこんな感じです。

「子供はある種の権利能力が無く一種の無縁状態に置かれる『物』であるから、大人が童名を名乗ることによって、己は無縁の物だとアピールする事が出来る。そうする事によって政治的に有利に立ったり、ある種の保証が付いたり、平和の使者になったり、ある種の自由を得る事ができた。」

通説に寄れば、真田幸村は19歳の時に上杉家へ人質に行きます。
その時に彼は「弁丸」という幼名を名乗っていた(元服していなかった)とされています。

上記のような考えが室町後期にも生きていたのであれば幸村は人質になるために「わざと弁丸と名乗り続けた」もしくは「弁丸を名乗り続けざるをえなかった」のかもしれません。

上杉家の家臣の須田さんは、矢沢頼綱に
「幼く弱い子供を人質に寄越してくれてありがとう。御心痛を察します。」
という手紙を出しています。
人質を「幼く弱い」と表現したのも、幸村が「弁丸」を名乗っていたからなのかもしれません。

体躯逞しい19歳の青年を捕まえておいて「幼く弱い」は無いだろうと思っていたのですが、「童名」という建前を前提とした表現であるのならば納得が行きます。


こういう「その時代の常識」ってのは判らない事が多すぎますから、これも勝手な推測の一つなんですけどね。
人質に行くために子供の服装をさせられてむくれてしまった幸村(19歳)とか想像するとちょっと可愛いです(笑)

お雑煮からちょっと考えて見る

旦那のリクエストで私の実家のお雑煮を作った。
昆布で出汁を取り、大根と人参と鶏肉を放りこみ、醤油で味をつける。

餅を焼いておつゆに放り込み、食べる時に青海苔と鰹節と桜えびを好みでかける。

母や祖母に聞いた話によると、昔は醤油と言うものが無く、味噌樽の上部に自然と溜まる透明な液体を使って雑煮を作っていたそうな。
「醤油」が存在していた沼田市から嫁に来た母は、味噌味の澄し汁にカルチャーショックを受けたのだそうだ。

さて、醤油というのは室町時代に味噌を作る過程で発明されたものだ。
味噌を熟成させる過程で染み出てくる透明な液体を取り出すところから、醤油の歴史は始まった。
主に関西で食されていたらしいが、戦国時代の永禄年間になると関東にも記録がでてくる。
千葉県から甲斐の武田家へ醤油を献上したという文書が存在するそうな。

と、いうことは武田信玄公も真田幸隆公も醤油が輸入されるまでお雑煮は味噌味を食べていたのかなあ・・・。
醤油が無いのだもの、味噌汁でお餅を食べるしかないよなあ・・・。

味噌味の澄し汁を再現して、戦国気分を味わいたい所なのだが、残念ながら現在実家では味噌を作っていない。
もちろん、旦那の実家も味噌を作っていない(仮に味噌を作ったとしても、旦那の実家の場合は味噌球を燻す文化なので味噌から液体がにじみ出ない)。

一度、味噌味の澄し汁を体験してみたいものである。

あけましておめでとうございます

今年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆様の一年が素晴らしいものになりますように。


今年は、長いこと悩まされている心身症の数々をなんとか克服したいものです。
心と体に余裕を持って、「楽しく史料を読む」時間を増やしたい。

そのためにやってみたい事もいくつかあるので、思い切って挑戦しようと思います。

良い年になりますように。
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