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2007.12.28
戦国BASARA 英雄外伝 感想
とある噂を聞いて、風魔小太郎の第二衣装を見たいと思い、せっせと天下統一モードをプレイしました。
その噂を聞いて、小太郎の第二衣装はきっと
日本昔話だと
日本昔話だと
日本昔話だと思ってたのに!
蓋を開けたら○使禁猟区だったよ!!
いろんなアニメや漫画やゲームのパロディが売りのBASARAですが、まさか少女マンガ系でくるとは夢にも思っていませんでした。
すごいよCAPCOM!!
第二衣装を見て、小太郎と佐助は双子なんだなあと納得しました。
その噂を聞いて、小太郎の第二衣装はきっと
日本昔話だと
日本昔話だと
日本昔話だと思ってたのに!
蓋を開けたら○使禁猟区だったよ!!
いろんなアニメや漫画やゲームのパロディが売りのBASARAですが、まさか少女マンガ系でくるとは夢にも思っていませんでした。
すごいよCAPCOM!!
第二衣装を見て、小太郎と佐助は双子なんだなあと納得しました。
2007.12.22
馬が鼻血吹いた
高白斎記より訳
〜〜〜〜
天文13年
10月16日 御館様(信玄公)御出陣、礼拝場で馬から鼻血が出る。出陣に差し支えは無し。その後は特に何も起こらなかった。
〜〜〜〜〜〜
出陣中に馬が鼻血出すって、乗ってる人も周囲の人もすごく動揺すると思うのですが・・・。
(だから駒井さんも日記に書きとめたのか。)
所で、鼻血吹いたのって誰の馬だったのでしょう??
〜〜〜〜
天文13年
10月16日 御館様(信玄公)御出陣、礼拝場で馬から鼻血が出る。出陣に差し支えは無し。その後は特に何も起こらなかった。
〜〜〜〜〜〜
出陣中に馬が鼻血出すって、乗ってる人も周囲の人もすごく動揺すると思うのですが・・・。
(だから駒井さんも日記に書きとめたのか。)
所で、鼻血吹いたのって誰の馬だったのでしょう??
2007.12.21
狐が啼けば 何かが起こる
高白斎記より。訳
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
天文19年
5月 15日 茶の木畑にて狐が鳴く
23日 御館様の御曹司様(太郎義信の事と思われる)が台所へ御出になった時に源七と小六のいたずらによって新三郎が怪我をした。まあ、これは狐が鳴いたからだろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
駒井高白斎さん、狐が鳴くと躑躅ヶ崎館で何かが起きるんですか・・・。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
天文19年
5月 15日 茶の木畑にて狐が鳴く
23日 御館様の御曹司様(太郎義信の事と思われる)が台所へ御出になった時に源七と小六のいたずらによって新三郎が怪我をした。まあ、これは狐が鳴いたからだろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
駒井高白斎さん、狐が鳴くと躑躅ヶ崎館で何かが起きるんですか・・・。
2007.12.17
戦国BASARA英雄外伝
買ってしまいました。戦国BASARAの新作ですv
まず、武田家の日常編というストーリーをプレイしました。
CAPCOMは幸村をどこまでアホの子にすれば気が済むんだ!(怒)
という気持ちと、
さすがCAPCOM!これっくらいやらなきゃBASARAじゃないよね(笑)
という気持ちに挟まれてとても複雑な気分です。
うん。BASARAの幸村はアホでなんぼ。馬鹿でなんぼなんだけどね。
「こういうキャラクターにしてくれてありがとう!ゲームだし、「幸村」だし、いじってなんぼだよねvBASARA幸村可愛いvvv」
という気持ちもありつつ、
「でも、でも、「幸村」は賢い方がかっこいいのに〜〜〜〜〜〜〜〜。」
という気持ちもありつつ、
「笑いがとれなきゃBASARAじゃない!」
という気持ちもあって、複雑です。
もちろん、武田家の日常編というストーリーは、笑い死ぬかと思うほど面白かったです!!
他のストーリーはまた後日プレイいたします。
最後に余談。
武田家のオープニングだけ何度も見ていたら、ふと
「真田昌幸公もお小姓時代はこんなふうにポテポテと躑躅ヶ崎館の縁側を歩いていたんだろうなあ。」
と思ってしまい、ゲームとは別の所で萌えました(苦笑)
まず、武田家の日常編というストーリーをプレイしました。
CAPCOMは幸村をどこまでアホの子にすれば気が済むんだ!(怒)
という気持ちと、
さすがCAPCOM!これっくらいやらなきゃBASARAじゃないよね(笑)
という気持ちに挟まれてとても複雑な気分です。
うん。BASARAの幸村はアホでなんぼ。馬鹿でなんぼなんだけどね。
「こういうキャラクターにしてくれてありがとう!ゲームだし、「幸村」だし、いじってなんぼだよねvBASARA幸村可愛いvvv」
という気持ちもありつつ、
「でも、でも、「幸村」は賢い方がかっこいいのに〜〜〜〜〜〜〜〜。」
という気持ちもありつつ、
「笑いがとれなきゃBASARAじゃない!」
という気持ちもあって、複雑です。
もちろん、武田家の日常編というストーリーは、笑い死ぬかと思うほど面白かったです!!
他のストーリーはまた後日プレイいたします。
最後に余談。
武田家のオープニングだけ何度も見ていたら、ふと
「真田昌幸公もお小姓時代はこんなふうにポテポテと躑躅ヶ崎館の縁側を歩いていたんだろうなあ。」
と思ってしまい、ゲームとは別の所で萌えました(苦笑)
2007.12.16
風林火山 最終回 感想
終わってしまいました。
一年間、なんだかんだといいながら毎週楽しみにしていたドラマが終わってしまって寂しいです。
最後の最後の勘介の生きようとするさまに少し感動しました。
どんな意地汚かろうと、どんなに自分にすがろうと、生きる事を諦めないということ。
ああ、えらいなあと・・・。
一年を振り返って、風林火山の前半は信虎様に、中編では板垣さんに、後半では宇佐美さんとガクト謙信に心を奪われっぱなしであまり勘介を見ていなかったので感動したことが意外でした。
勘介、最後に武田家全員に勝鬨をあげてもらえて良かったね。
「武田は勝った。安心して眠れ」
と送ってもらえて良かったね。
最初の頃はどうなるかと思っていたけど、きちんと人と関わることができて良かったね。
風林火山は全体を通して面白かったです。
次の大河ドラマもこれくらい面白いと嬉しいな。
最後に、白馬のガクト謙信はすごかった。ガクトさんは本当に美人ですね〜〜〜〜。
一年間、なんだかんだといいながら毎週楽しみにしていたドラマが終わってしまって寂しいです。
最後の最後の勘介の生きようとするさまに少し感動しました。
どんな意地汚かろうと、どんなに自分にすがろうと、生きる事を諦めないということ。
ああ、えらいなあと・・・。
一年を振り返って、風林火山の前半は信虎様に、中編では板垣さんに、後半では宇佐美さんとガクト謙信に心を奪われっぱなしであまり勘介を見ていなかったので感動したことが意外でした。
勘介、最後に武田家全員に勝鬨をあげてもらえて良かったね。
「武田は勝った。安心して眠れ」
と送ってもらえて良かったね。
最初の頃はどうなるかと思っていたけど、きちんと人と関わることができて良かったね。
風林火山は全体を通して面白かったです。
次の大河ドラマもこれくらい面白いと嬉しいな。
最後に、白馬のガクト謙信はすごかった。ガクトさんは本当に美人ですね〜〜〜〜。
2007.12.13
ストラップを無くしました(涙)
今年の夏に里帰りした時に、沼田市迦葉山(真田伊賀守のお墓があります)で「天狗の団扇」の小物を手に入れました。
とても気に入ったので、ストラップに改造して携帯電話に着けて持ち歩いていたのですが・・・
今日無くしました・・・・(涙)
朝、家を出た時には確かに携帯にくっついていたのに!!
いったいどこで落としたんだ!!!
また迦葉山へ行けば麓のお土産屋で売っているのはわかっているのですけど、群馬県は遠い・・・。
どこかに天狗の団扇のストラップを売っている場所はないかなあ。
とても気に入ったので、ストラップに改造して携帯電話に着けて持ち歩いていたのですが・・・
今日無くしました・・・・(涙)
朝、家を出た時には確かに携帯にくっついていたのに!!
いったいどこで落としたんだ!!!
また迦葉山へ行けば麓のお土産屋で売っているのはわかっているのですけど、群馬県は遠い・・・。
どこかに天狗の団扇のストラップを売っている場所はないかなあ。
2007.12.09
風林火山 第49回 感想
今回は皆さん(製作スタッフ含む)力みすぎですね〜〜〜。
一大決戦を前に別れを惜しみあったり策を練ったりする前半はとてもとても見ごたえがあって面白かったのですが・・・。
武田典厩信繁公の最後をああいうふうに演出する必要はあったのでしょうか。
最後の最後でいきなりクローズアップされた感が否めません。
こういうふうに盛り上げるのならば、信虎公追放から今回までの間に信繁公と信玄公の間の細かなエピソードをもっともっとこまめににちりばめておいて欲しかったです。
典厩信繁公と諸角さんの最後で泣きたかったのにな・・・。
今回は車掛の陣を映像で見る事ができて面白かったです。
大軍をああやって回すのですね〜〜〜。
次々に襲ってくる上杉軍によって少しずつ確実にそぎ取られる武田の鶴翼の陣を演出するにはちょっと人数が足りませんでしたね(苦笑)
来週は信玄とガクト謙信の一騎打ちをやるんですね。
話の軸をこれ以上ずらすこと無く、綺麗に演出して欲しいですね。
一大決戦を前に別れを惜しみあったり策を練ったりする前半はとてもとても見ごたえがあって面白かったのですが・・・。
武田典厩信繁公の最後をああいうふうに演出する必要はあったのでしょうか。
最後の最後でいきなりクローズアップされた感が否めません。
こういうふうに盛り上げるのならば、信虎公追放から今回までの間に信繁公と信玄公の間の細かなエピソードをもっともっとこまめににちりばめておいて欲しかったです。
典厩信繁公と諸角さんの最後で泣きたかったのにな・・・。
今回は車掛の陣を映像で見る事ができて面白かったです。
大軍をああやって回すのですね〜〜〜。
次々に襲ってくる上杉軍によって少しずつ確実にそぎ取られる武田の鶴翼の陣を演出するにはちょっと人数が足りませんでしたね(苦笑)
来週は信玄とガクト謙信の一騎打ちをやるんですね。
話の軸をこれ以上ずらすこと無く、綺麗に演出して欲しいですね。
2007.12.02
蒸し羊羹
妙心寺 大法院で頂いた蒸し羊羹です。

ういろうのような食感にやさしい小豆の風味。甘く煮た栗がたまらなくおいしいですv
〜解説〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
万葉の時代に羊羹とは熱い吸い物の事を言ったが、時代が下るにつれて具のみが独立し、点心と化した。
室町時代後期に入ると羊羹は料理の一品に、もしくは茶の湯の菓子として作られるようになる。
慶長8年(1603)刊の「日葡辞書」によると
『羊羹・・・豆に粗糖を混ぜてこねて作った菓子」
と記載されている。
室町時代から江戸時代初期の羊羹は蒸し羊羹であったといわれている。
現代のような練羊羹が現われるのは1800年頃からというのが定説である。
しかし、京都では安土桃山時代から江戸時代の初期に練羊羹が誕生したと言われている。
天正17年に岡本善右衛門が赤い色の蒸し羊羹を発明した。
「紅ようかん」と名付けられたそれが秀吉の茶会の引き出物となり有名となった。
さらに伏見でテングサから寒天が作られ始め、岡本善右衛門は寒天を利用した練羊羹を慶長4年(1599)に試作したという伝説がある。
伝説を裏付ける史料は何もないが、否定する材料もない。
現在、蒸し羊羹は「丁稚羊羹」の名で親しまれている。
信長・秀吉の時代の茶会を想像しながら味を楽しむのもまた一興である。
万葉の時代に羊羹とは熱い吸い物の事を言ったが、時代が下るにつれて具のみが独立し、点心と化した。
室町時代後期に入ると羊羹は料理の一品に、もしくは茶の湯の菓子として作られるようになる。
慶長8年(1603)刊の「日葡辞書」によると
『羊羹・・・豆に粗糖を混ぜてこねて作った菓子」
と記載されている。
室町時代から江戸時代初期の羊羹は蒸し羊羹であったといわれている。
現代のような練羊羹が現われるのは1800年頃からというのが定説である。
しかし、京都では安土桃山時代から江戸時代の初期に練羊羹が誕生したと言われている。
天正17年に岡本善右衛門が赤い色の蒸し羊羹を発明した。
「紅ようかん」と名付けられたそれが秀吉の茶会の引き出物となり有名となった。
さらに伏見でテングサから寒天が作られ始め、岡本善右衛門は寒天を利用した練羊羹を慶長4年(1599)に試作したという伝説がある。
伝説を裏付ける史料は何もないが、否定する材料もない。
現在、蒸し羊羹は「丁稚羊羹」の名で親しまれている。
信長・秀吉の時代の茶会を想像しながら味を楽しむのもまた一興である。
参考文献 京の和菓子 辻ミチ子著
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
というわけでして、蒸し羊羹ならば昌幸公の口に入った可能性があるのです。
練羊羹はもしかしたら晩年の信幸兄さんが食べていたかもしれませんね。

ういろうのような食感にやさしい小豆の風味。甘く煮た栗がたまらなくおいしいですv
〜解説〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
万葉の時代に羊羹とは熱い吸い物の事を言ったが、時代が下るにつれて具のみが独立し、点心と化した。
室町時代後期に入ると羊羹は料理の一品に、もしくは茶の湯の菓子として作られるようになる。
慶長8年(1603)刊の「日葡辞書」によると
『羊羹・・・豆に粗糖を混ぜてこねて作った菓子」
と記載されている。
室町時代から江戸時代初期の羊羹は蒸し羊羹であったといわれている。
現代のような練羊羹が現われるのは1800年頃からというのが定説である。
しかし、京都では安土桃山時代から江戸時代の初期に練羊羹が誕生したと言われている。
天正17年に岡本善右衛門が赤い色の蒸し羊羹を発明した。
「紅ようかん」と名付けられたそれが秀吉の茶会の引き出物となり有名となった。
さらに伏見でテングサから寒天が作られ始め、岡本善右衛門は寒天を利用した練羊羹を慶長4年(1599)に試作したという伝説がある。
伝説を裏付ける史料は何もないが、否定する材料もない。
現在、蒸し羊羹は「丁稚羊羹」の名で親しまれている。
信長・秀吉の時代の茶会を想像しながら味を楽しむのもまた一興である。
万葉の時代に羊羹とは熱い吸い物の事を言ったが、時代が下るにつれて具のみが独立し、点心と化した。
室町時代後期に入ると羊羹は料理の一品に、もしくは茶の湯の菓子として作られるようになる。
慶長8年(1603)刊の「日葡辞書」によると
『羊羹・・・豆に粗糖を混ぜてこねて作った菓子」
と記載されている。
室町時代から江戸時代初期の羊羹は蒸し羊羹であったといわれている。
現代のような練羊羹が現われるのは1800年頃からというのが定説である。
しかし、京都では安土桃山時代から江戸時代の初期に練羊羹が誕生したと言われている。
天正17年に岡本善右衛門が赤い色の蒸し羊羹を発明した。
「紅ようかん」と名付けられたそれが秀吉の茶会の引き出物となり有名となった。
さらに伏見でテングサから寒天が作られ始め、岡本善右衛門は寒天を利用した練羊羹を慶長4年(1599)に試作したという伝説がある。
伝説を裏付ける史料は何もないが、否定する材料もない。
現在、蒸し羊羹は「丁稚羊羹」の名で親しまれている。
信長・秀吉の時代の茶会を想像しながら味を楽しむのもまた一興である。
参考文献 京の和菓子 辻ミチ子著
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
というわけでして、蒸し羊羹ならば昌幸公の口に入った可能性があるのです。
練羊羹はもしかしたら晩年の信幸兄さんが食べていたかもしれませんね。
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