スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

一乗谷へ行ってきました

福井県福井市一乗谷に残る、朝倉氏の城下町遺跡を見に行ってきました。

ここは、中世の町並跡と武家屋敷跡・朝倉氏館跡がそっくりそのまま残っている素晴らしい遺跡です。

早起きして電車にのり、九頭竜線の一乗谷駅に降り立ちました。
何にもない無人駅にまずびっくり。そして次の電車が3時間後に来るとしって二度びっくり。ものすご~~~い田舎でした。

駅前の地図だけをたよりに遺跡群を探します。探せど探せど案内板が一つも現われずにあせりました。人に道を聞きたくても、誰も通りません。と、川沿いに「朝倉氏城下町」の垂れ幕が!
ほっと安心して「あさくら遊歩道」に足を踏み入れました。

下城戸と名のついた石垣をくぐり、谷の中心部に入ると空気が変わりました。
周囲には私達以外誰もいないし発掘された屋敷跡がひろがっているだけなのですが、すごくにぎやかな雰囲気なのです。
例えるならば、東京や京都などへ旅行へ行った時のような、たくさんのお店や観光名所にわくわくするような、アメ横や新京極でお土産屋さんの人に声を掛けられているようなそんな空気なのです。

またたくまに空気に呑まれて、すっかり「おのぼりさん」の気分になりました。おかげで井戸の跡をのぞくのも、寺跡を眺めるのも、民家の礎石跡を見るのもものすごく楽しかったです。
道路跡を歩きながら、野菜を歩き売りしている女性の姿やら道端で説法をしているお坊さんやらぶらぶらとあるいはせかせかと歩く人々の姿やらが見えてくるようにも思えました。

後でわかったのですが、そのあたり一帯は数珠屋や鍛冶屋やお寺が立ち並ぶ「民衆」がたくさん住んでいた(当時の)大都会といえる場所だったそうです。

その後で武家屋敷群の跡を抜け、朝倉家の館へ行きました。
背後に山を背負い、三方を掘に囲まれた守りやすい館です。
館の外には広い厩と馬場が広がり、馬場の芝生が雨でツヤツヤと光っていました。
館の中には何棟もの建物の礎石と庭園の跡がありました。
庭園と屋敷とを一体化させた面白い作りでした。
屋敷の裏の山にも庭園が作られ朝倉家の女性のための屋敷跡がたてられていたようです。

応仁の乱の後で日本中が小競り合いや大戦で荒れに荒れていた時代だったのに、この屋敷跡のこの遺跡群全体の、この平和で余裕に満ちた空気はいったいなんなのでしょう?


昭和42年に遺跡群の発掘が始まり、地元の人々と行政は話合い「遺跡を壊さずに保存・管理すること」に決めました。
それから30年以上もの間、この遺跡群は守り続けられました。
これからも守られ続けるでしょう。

一乗谷の歴史と現代の人々の気持ちがこの遺跡の不思議な空気を守り、作り上げているのでしょう。

このままの雰囲気を保ったままで、これからも発掘調査が進んでくれる事を願います。

あまりに素晴らしい遺跡群に圧倒されて、すっかり朝倉家が好きになってしまいました。
また一乗谷を訪れたいと思います。
機会があれば朝倉家もしらべてみたいものです。
スポンサーサイト

矢沢頼綱と小松明

加沢記より意訳

************
矢沢頼綱が沼田城の城代であった天正10年10月の事です。
その頃、矢沢頼綱は沼田城を攻めてきた北条氏邦と戦っていました。
沼田城で篭城をしていた頼綱は、北条軍へ夜討ちを掛けることにしました。
味方には紙の羽織をきせて、合言葉を「天」「気」と定めました。

頼綱は700騎を引き連れて敵の陣に近づき、
「時は良し。」
と愛用の槍『小松明』を握ると、『小松明』は本物の松明のように光り輝き矢沢頼綱の姿を見えなくしてしまいました。
矢沢頼綱からは、相手の様子がはっきりと見えました。
一時間ほどの間に敵は総崩れとなり、北条軍はやっとのことで退いたのでした。

さて『小松明』という槍の由来を訪ねたところ、矢沢頼綱は詳しく語ってくれました。
「自分の父である海野棟綱の時代には信濃の虚空蔵山に鬼神が住んでいて人民を悩ませていたそうだ。その時に父は鬼神討伐に向かったのだが、とても人間の叶う相手ではない。そこで水内八幡宮へ願いたてをしてこの槍を授かった所、不思議な事に夜中に槍が松明に変わり鬼神を平らげることができたのだ。
自分が13歳の時に村上義清との合戦があった。この小松明はその時に父から
『まだまだ若いのに初陣なのだから素晴らしい剣を与えよう。』
と言われていただいたものなのだ。」

この話を聞いた人々は不思議なこともあるものだとこの槍をおそれ敬ったのでした。

****************

しばらく加沢記に手をつけなかったのでリハビリです。
好きな話なので非常に楽しかったですv
加沢記に登場する矢沢の大叔父は非常に格好良いv

8月になったら加沢記の訳を再開したいですね。

風林火山 第27回 両雄の死

これが歴史上の出来事を元にした大河ドラマでなかったら、板垣さんの死も、甘利さんの死も、主人公「晴信」を自立させるための展開であったと、己の責任を己がとるという大人のステージへ晴信を持ち上げるための死であったと、そう言って感想を終える事が出来たのにな。

自分で思っていた以上に、私は甘利さんと板垣さんの事が好きだったようでとても辛い回でした。
そのため、ドラマの内容が私の表層をツルッと滑って行ってしまって、感想らしい感想が思いつきません。

御館さまの怒りや絶望の表情を見て
「ああ、歌舞伎の化粧というのは、人間の表情を極端に表現したものなんだなあ。」
とぼんやり考えていました。

板垣さん、甘利さん お疲れさまでした。

7月21日(土)テレビ朝日 人生の楽園に中之条町が紹介されます

今回の番組は
「週末同居 湯の町が紡ぐ夫婦の絆」
だそうです。
四万温泉に暮らす夫と東京で暮らす妻の新しいライフスタイルの紹介です。

四万温泉でロケということは、日向見薬師堂が登場するかもしれませんね。
日向見薬師堂は慶長三年三月に「鹿目喜左衛門家定」と言う人が中心となって、真田信幸の武運長久を願って建てられました。


四万温泉は古くから全国的に名の知られていた温泉ですが、戦国時代後期には荒廃していました。

「そこで土地の人々が真田昌幸に温泉復興の願いと届出ました。
昌幸公はさっそく道路や橋梁を治し、湯守を任命してくれました。
さらに入湯の者が不便をしないようにと宿まで作ってくだされその書付までくださいました。」
(日向見薬師堂の歴史 田村家文書より)

ちなみに四万温泉が昌幸の領土となったのは天正2年(1574)だそうです。

ついでに、関東管領上杉憲政の四万温泉入湯記録が永禄3年(1560)~天正6年(1578)の間にちょこちょこ残っているそうです。どうやら、上杉謙信の関東出陣の折に、三国峠で謙信と別れて四万温泉でリラックスしていた模様。
上杉謙信も三国峠の途中で法師温泉などに浸かったり、猿ヶ京で夢占いして宴会していたりします。

上杉謙信の関東出陣っていったい・・・。

長野は真田と懇切なり

一徳斎御事跡を読み返して、5月から探していた文章をやっと見つける事ができました。

甲陽軍艦に記載されている3行ほどの文章で、簡単に訳すと
「長野業政が笛吹き峠へ出陣しようとすると、周りから批判が起きました。
『長野業政は真田幸隆にも非常に心を砕いているではないか。真田幸隆は先日武田晴信の力を借りて信州の本領へ帰っている。このたびの合戦は武田家との戦であるから長野業政は動くな。』
そういうわけで、長野業政は笛吹き峠へは行きませんでした。」

大河ドラマ「風林火山」で言えば、「苦い勝利」の時のお話に当たります(滋賀城攻めです)。
関東管領軍は板垣さんに負けて首をさらされてしまうのですが、長野家の人々は無事だったようです。
先々週に見つけておきたかったな~。

ちなみに、名将勤行録にも同じ時期の話が載っています。
こちらの場合は、長野業政が「武田とむやみに戦をしたら負ける」と自分で判断して軍を出さないのですが、その後に
「関東管領上杉軍に長野業政の姿が見えないので、晴信は不思議に思いました。いろいろ考えた末、自軍を甲斐に引き上げた後も板垣を最後まで笛吹き峠に残したのでありました。」
という話が続いています。

長野業政は幸隆公と仲が良いv
長野業政は晴信公も無視できない程強いv
という、両家のファンにはたまらないお話です。

ちなみに、甲陽軍艦の信頼性は余り高くないとされています。
名将勤行録の江戸時代に作成された逸話集なので、これもまた信頼性が低いです。
そういうわけで、どちらの話も「逸話」の域を出ないのでした。

風林火山 第27回 最強の敵

今回は「両職!!」のお話でした。

一番印象的だったのは、甘利さんが勘介の肩に手を置いて「負け戦」について語るところ。
負けたらほとんど全てを失うのだと言うことを勘介に教えようとしてくれました。

甘利さんの気持ちがどこまで勘介に伝わったのかはわかりません。
勘介は甘利さん達のような「普通の武家」とは違います。
彼が(一応)持っているのは『山本』という家名だけです(それだって、甘利さんが自分の家名を誇るような気持ちは持っていないでしょう)。
それ以外は、戦ではない要因で全て奪われてきたのです。

彼は大切に思わなければならないものが、他の武家よりも少ない。
大切に思いたいものを自分で決める事ができる。
そして数少ない「大切なもの」だけに集中できる。集中しすぎる。

「大切なものがあるのなら、もっと広い範囲の物事を見て、人間の感情も考えの足しにしなくてはならない。わからないなら真田殿や相木殿に教えてもらいなさい。」と甘利さんはおっしゃいました。

次の戦に向けて、甘利さんは「心の財産」を周囲に分けておく事にしたようです。


次に印象的だったのが、板垣さんと晴信とのシーンでした。
『負けによる喪失』を恐れる晴信に板垣さんは語ります。
「そのままの貴方様でよろしいのです。もっと自分に自信をおもちください。」
と。

しかし、晴信は聞きません。聴けません。かえって恐怖を煽られて
「お前のその思いすらも、自分が勝っているからこそだ。」
と叫びます。

板垣さんは晴信に近すぎる。
幼少時から己の全てを受け入れてくれた、「親」である板垣さんでは近すぎるのです。
板垣さんが晴信を受け入れるのはある意味「当たり前」であって、その言葉の客観性を晴信が受け取れないのです。

晴信は若い。本当に若い。彼は武田家当主ですが、まだ20代の若増なのです。

来週は上田原です。

未確認情報なのですが・・・

テレビ朝日で毎週土曜日に放送している「人生の楽園」で、群馬県吾妻郡中之条町の観光ボランティアガイドの方が取り上げられるそうです。

以下、中之条町観光協会のHPより引用
「テレビ朝日のロケ班が、6月14日(木)に来町致します。土曜日、午後6時放映の「人生の楽園」のロケ班を、中之条駅を中心に、中之条観光ガイドボランティアセンターが、中之条町の見所をご案内いたします。放映は、7月中句頃との事ですが、明細がわかり次第お知らせいたします。」

これ以外の情報が無いのでまだ何とも言えないのですが、「人生の楽園」の放送中にひょっとしたら、運が良ければ「真田」の「さ」の字くらい紹介されるかもしれません。

詳しいことが判ったらまたお知らせいたします。

風林火山 第26回 苦い勝利

今回は「相木さん、貴方はどっちなんですか?」の回でした。

どんどん信虎化し力のみに頼るようになってきた晴信を見限って村上義清に保護を求めにやってきた相木さん。
信濃の人間同士が血を流すことがこれ以上無いようにと必死に頼み込みます。
かと思いきや、幸隆公や勘介に
「あれは御館様の命だった。人質を取られている自分が武田を裏切れるわけないだろう。」
と笑顔を振りまきます。

どっちが本当ですか、相木さん!
・・・どちらも本当なんだろうなあ。いくつもの強者に繋がりを取っておくというのは、弱小勢力が生き残る術の一つですもの。
したたかで良いです。
こういう強さとバランス感覚を持っている人はうらやましい。


村上義清公は以前と変わらず素敵でした。
「謀略を自ら使ったら、自分の家臣さえも疑わなくてはならない。」
と言い切りました。人を信じる事を知っている良い大将です。
と、家臣団にアピールをしておいてから平蔵を間者として送り込むとは流石です。
力のみの人ではありません。きちんとあらゆる可能性を考えていらっしゃる。
でも、人選は失敗したかもしれませんね。
平蔵が間者だと、あっという間にばれてしまいました。
(それさえも見越しての人選だったら凄いですが・・・。)

勘介は、御館様の様子がおかしい事にようやく気付いた模様。
今まで買われていた謀略の才が今度は疎まれる原因になっている。
勘介の言うことなら聞くだろうと期待していた家臣団もがっかりしてしまいました。
御館様の寵があってこその『軍師』だったのだと再確認しました。
勘介の立ち位置も随分とあやふやな物になってしまいました。
(いままで勘介が周囲を振り回した分、御館様に振り回されているようにも見えますが・・・)


今回一番驚いたのはGackt演じる上杉謙信でした。
何と言ったら良いのか・・・とにかく、迫力と色気のある謙信でした。
良い意味で、謙信がいるだけで空気が違います。
Gacktさんは謙信を演じるためにものすごく勉強をなされたそうです。
その成果があの豪華絢爛な着物や琵琶や演技に反映されているのですね。
昔、上杉神社で見た美しい着物の数々を思い出しました(謙信はものすごい派手好みで着物なども自分でデザインしたそうです)。
これからの長尾家を、上杉謙信を見るのが非常に楽しみになりました。


「御館様を信虎様のようにしてしまったのは自分達だ。」
と言う板垣さんが印象に残りました。
板垣さんは本当に本当に、晴信の事が大事なのだなあ。
そして同様に晴信の事を案じている大井夫人。
今まで彼女は『あきらめる事に慣れ過ぎてしまった人』だと思っていたのですが、最近見方が変わりました。
晴信が大人になったから、一人の人間として大人の扱いをしているのですね。
自分の意見はキチンと伝えて後は見守る。ただ見守る。
それもまた、親としての愛ですね。

たくさんの人の心配や愛情に気付かずに突っ走っている御館様は見ていて苦しい。
己が暴走していることに早く気付いてくれたら良いのですが・・・。
早く周囲を見回す目を取り戻してくれたら良いのですが・・・。


もうすぐ上田原です。
プロフィール

てるてる

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
RSSフィード
リンク
TweetsWind
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。