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2006.12.29
今年最後の更新
半年振りに加沢記を訳しました。
幸隆公の岩櫃城攻略です。
早々に昌幸公(この時点では武藤喜兵衛 推定年齢17〜18歳)が登場しました。
この戦は真田一族がほとんど登場するので、これから先を訳すのが楽しみです。
来年は大河ドラマ・風林火山の感想と平行して加沢記を訳していきたいですね。
体と相談しつつ、無理をせずにやって行きます。
今年もたくさんの人に支えられてこのHPを運営することができました。
本当にありがとうございました。
皆様、良いお年を!
幸隆公の岩櫃城攻略です。
早々に昌幸公(この時点では武藤喜兵衛 推定年齢17〜18歳)が登場しました。
この戦は真田一族がほとんど登場するので、これから先を訳すのが楽しみです。
来年は大河ドラマ・風林火山の感想と平行して加沢記を訳していきたいですね。
体と相談しつつ、無理をせずにやって行きます。
今年もたくさんの人に支えられてこのHPを運営することができました。
本当にありがとうございました。
皆様、良いお年を!
2006.12.25
ノロウィルス???
一昨日の晩から少々腹を下しまして、治らないので掛かりつけの医者に行ってきました。
世間で騒がれているノロウィルスほどひどい症状は出ていないので、医者に
「なんとも言えませんね。とりあえず整腸剤出しておくので様子をみてください。」
と診断されました。
結局何が原因なのかわかりませんでした。
風邪なのかなあ????
早く治れ〜〜〜。
世間で騒がれているノロウィルスほどひどい症状は出ていないので、医者に
「なんとも言えませんね。とりあえず整腸剤出しておくので様子をみてください。」
と診断されました。
結局何が原因なのかわかりませんでした。
風邪なのかなあ????
早く治れ〜〜〜。
2006.12.13
年賀状作成中
12月も半ばになってしまいました。
大急ぎで年賀状を作っています。
今年は群馬県のあちこちで市町村合併が実行されてしまったので、住所の確認が大変です。
確認ついでに群馬県市町村合併のHPをのぞいたのですが、衝撃を受けました。
大好きだった町名「月夜野町(つきよのまち)」が消えて「みなかみ町」になっていました。
何故に、何故に平仮名で「みなかみ」なのでしょう。
漢字の「水上」ではいけなかったのでしょうか?
他にも好きだった名前「子持村」「北橘村」「伊香保町」も消えて全部ひっくるめて「渋川市」になっていました。
どの地名も歴史からの由来があって大好きだったのですが・・・。
こうやって歴史の足跡が消えていくのですね。
時代の流れとはいえ少々悲しくなります。
HPに掲載している地図は「平成の大合併」よりも前の物を使用しています。
地名に愛着があるので「平成の大合併」前の状態のままで掲載し続けます。ご了承ください。
大急ぎで年賀状を作っています。
今年は群馬県のあちこちで市町村合併が実行されてしまったので、住所の確認が大変です。
確認ついでに群馬県市町村合併のHPをのぞいたのですが、衝撃を受けました。
大好きだった町名「月夜野町(つきよのまち)」が消えて「みなかみ町」になっていました。
何故に、何故に平仮名で「みなかみ」なのでしょう。
漢字の「水上」ではいけなかったのでしょうか?
他にも好きだった名前「子持村」「北橘村」「伊香保町」も消えて全部ひっくるめて「渋川市」になっていました。
どの地名も歴史からの由来があって大好きだったのですが・・・。
こうやって歴史の足跡が消えていくのですね。
時代の流れとはいえ少々悲しくなります。
HPに掲載している地図は「平成の大合併」よりも前の物を使用しています。
地名に愛着があるので「平成の大合併」前の状態のままで掲載し続けます。ご了承ください。
2006.12.01
何とか回復しました。
風邪が落ち着いてきました。
普通のご飯が美味しいですv
ぶり返さないように週末はじっくり休もうと思います。
家事をさぼって真田家御事跡をパラパラとめくっていたら面白い話を見つけました。
長国寺御事跡 6巻 神川合戦『古今沼田記』より意訳
〜〜〜〜〜
徳川家は大軍を率いて上田まで攻めてきました。
昌幸は計略通りに上田城の大手門を開け、信幸に200騎程あずけて徳川軍を攻めさせました。
信幸はわざと弱弱しく逃げ帰りましたので、徳川軍は大手門まで押し込んできました。
昌幸は少しも動ぜずに
「敵が来たら切れ切れ。」
と言いながら祢津長右衛門と囲碁に興じていました。
それを見ていた木村土佐守は
「頃合は良し」
と碁を突き崩しました。
昌幸は大笑いをして、城内の兵を指揮し始めたのでした。
〜〜〜〜〜〜
この木村土佐守は、お小姓時代に「昌幸の密命を便所で盗み聞きした」人です。
この人の逸話はどれも「度胸があるなあ」と感心してしまいます。
普通のご飯が美味しいですv
ぶり返さないように週末はじっくり休もうと思います。
家事をさぼって真田家御事跡をパラパラとめくっていたら面白い話を見つけました。
長国寺御事跡 6巻 神川合戦『古今沼田記』より意訳
〜〜〜〜〜
徳川家は大軍を率いて上田まで攻めてきました。
昌幸は計略通りに上田城の大手門を開け、信幸に200騎程あずけて徳川軍を攻めさせました。
信幸はわざと弱弱しく逃げ帰りましたので、徳川軍は大手門まで押し込んできました。
昌幸は少しも動ぜずに
「敵が来たら切れ切れ。」
と言いながら祢津長右衛門と囲碁に興じていました。
それを見ていた木村土佐守は
「頃合は良し」
と碁を突き崩しました。
昌幸は大笑いをして、城内の兵を指揮し始めたのでした。
〜〜〜〜〜〜
この木村土佐守は、お小姓時代に「昌幸の密命を便所で盗み聞きした」人です。
この人の逸話はどれも「度胸があるなあ」と感心してしまいます。
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