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風邪が長引いております

熱と頭痛は収まったのですが、今度は胃腸にきました・・・・(涙)

お粥とおじやで毎日しのいでいます。

風邪菌をやっつけてもやっつけても旦那と職場から毎日新たな風邪菌が補充されるので中々回復しません。

風邪の流行よ、さっさと収まってくれ~~~~(切実)

「その時歴史が動いた 郷土を我が手に 真田昌幸」をやっとみることができました。
民生家としての昌幸公というのが新鮮で楽しかったです。
回復したら真田家御事蹟の該当部分を読んでニコニコしようと思いますv

一番気になるのは、昌幸が『高砂』の舞を踊っていた時に誰が謡(うた)をやったのかです!
側近が集まって謡ったのか、一緒に篭城していた民兵達が歌ったのか?
男性が謡ったのか女性が謡ったのか?

どのパターンで妄想してもときめきますvvv
昌幸が「舞うぞ!」と決めてから行動に移すまでに城内ではどんなやり取りがあったのでしょうね(笑)


次に気になるのか、お粥戦法が狙ったものだったのか偶然だったのかです。
貴重な兵糧を開戦直後に兵器として使ってしまうのはもったいないと思ったので。
前者ならばあのお粥はそこらの「木の実・草の実」だったのかもしれません。
後者ならば飯時に攻め込んできた徳川軍は運が悪かったということで。食いそびれた城内の皆さんも運が悪かったですね。

昌幸公が後者の効果を狙って昼時に徳川軍を挑発していたら面白いですね(笑)

以上、根拠のあまり無い妄想でした。
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風邪を引きました。

職場と家庭で風邪が流行っています。
うつされないように気をつけていたのですが、ついにやられてしまいました。頭痛と熱で朦朧としています。

すみません。メールとコメントのお返事は来週まで待ってください。


昨日の「その時歴史が動いた」は面白かったですね!
録画しておいたので意識がはっきりしたらもう一度みようと思います。


****
私信(これだけは伝えねば!)

和泉様
行きたいですね!是非行きましょう!
12月中旬~2月初めまでは忙しいのでその時期以外で計画していただけると嬉しいです。

お詫び

このHPにきてくださる全ての方へ。

申し訳ございませんでした。

地図のページの「吾妻・利根郡真田城郭マップ」の画像リンクにミスがあり、管理人のパソコン以外のパソコンでは画像が表示されていませんでした。

本日リンクを貼りなおしたので今度は地図が表示されるはずです。
まだ地図が見られないという方がいらっしゃいましたらお手数ですが、このブログのコメントか、メールか掲示板にてお知らせください。

どうかご協力お願いいたします。

昌幸の化け物退治

沼田記より意訳

~~~~~~~

真田昌幸がまだ喜兵衛と名乗っていた頃のお話にございます。

夜が更けると甲府の御館(躑躅ヶ崎館か?)に化け物が現れて館内の人々を驚かすようになりました。

ある雨の夜のことでした。喜兵衛が歩いていると噂の化け物とばったり行き会いました。
喜兵衛はすかさず走りかかり、取っ組み合いの末に化け物を取り押さえました。化け物の顔から鬼の面をはずしてみるとその正体は茶坊主でありました。

茶坊主は館の侍達がどれほど肝が太いのか試そうと、鬼の面を付けて化け物になりすまして館をうろついていたのです。

これを聞いた喜兵衛は怒り、
「お前こそが曲者だ! 今回は命を助けるぞ。今後はこのようなことをするでないぞ。」
と茶坊主を逃がしてしまいました。

お終い
~~~~~~~

逃がすんかい!

御館様に突き出すなり館の警備を担当していた人に引き渡すなりするのが筋だと思うのですが、昌幸公は逃がして恩を売る作戦に出たようです。


私の知る限り、真田家のこの手の逸話は「神仏のおかげもしくは本人の霊力で○○しました。お終い。」というのが多いです。
例)
・女神に矛をもらった幸隆
・地蔵に助けられた矢沢頼綱
・眼力で狐を追っ払った信幸
・雷を切った幸村

「実は人間でした」というオチがつくパターンの逸話は昌幸が初めてです。

昌幸が非常に現実的な人間だったのか、昌幸に限り神格化が許されなかったのか。

余談ですが、「名将言行録」の武田信玄公の項目に
「信玄公の幼少のみぎりのお話です。ある日信玄公はお気に入りの木馬に話かけられました。それから信玄公は毎日木馬から兵法を教わりました。しばらくして、信玄公は木馬を置いていた床に槍をつきたてました。すると、木馬の床下には忍者がいたのでした。」
という同様のオチがつく話があります。

『小信玄』と評されたこともある昌幸です。信玄公の逸話を真似てオチを人間に持ってきたのかも知れません。

地図に城郭名・温泉名・関所名を追加しました。

吾妻・利根郡真田城郭地図に城郭名と温泉名と関所名を追加しました。

地図をマウスでグリグリと撫でてください。
ポインタを止めた場所の名前が出てきます。

後はその場所の写真とコメントを追加するだけです!
(温泉だけで15ヶ所あるよ・・・吾妻郡の分は万座・加沢湯以外は制覇してるけど利根郡の分は猿ヶ京と法師温泉と湯宿しか行ってないです。)


しまった・・・。法師温泉を地図に入れ忘れた!
日本でも有数の秘湯で源泉かけ流しの最高の温泉の一つなのに!(いつか法師温泉に泊まるのが夢です)

・・・・・・・・・・・・上杉謙信の入湯しか確認できてないからこのままでもいいかなあ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

え~~~、どなたからかリクエストがございましたら法師温泉を追加します。
そのほか、城郭や戦場跡や温泉や抜け道で地図に追加して欲しいという希望がございましたらメールか掲示板にて一言くださいませ。
史料(加沢記・吾妻記・真田家御事蹟 他昔話など)にて戦国時代に存在しているかどうか確認でき次第追加していきます。

それから、利根郡の湯曽根温泉や湯ノ小屋温泉や森下城などの写真を募集します。
群馬県の東側は管理人の実家から遠いので、里帰りしたとしてもそこまで足を伸ばせない可能性が高いのです。
写真をHPに載せても良いよ。ついでにコメントも書いてあげよう!
という優しいそこの貴方、お待ちしております。

桂飴

昔々、奈良時代だか平安時代だかその頃の飴は餅米の糖分と麦芽糖で作られていました。
昔のままの製法で今も作られている「桂飴」です。
桂飴


~~~解説~~~
その昔、神功皇后というお后様がいらっしゃいました。天皇に変わって三韓と戦を行い治めるという大変な女傑でありました。
神功皇后には桂姫という侍女がいました。
桂姫は真心を込めて飴を作り、神功皇后の御子を養育したのでありました。

その後、桂姫の飴の製法は連綿と受け継がれ、現在も桂川のほとりの店「桂飴屋養老亭」に継承されています。

水飴を煮詰めて固めて割っただけの素朴な飴ですが、滋養に富みいくら食べても体に良いということで別名「常餞飴(じょうせんあめ)」とも呼ばれます。
その昔は桂女達が京の都で飴を売り歩いていたそうな。

参考文献 新聞のコラム「菓子ひなみ」 桂飴屋養老亭のパンフレット
~~~~~~~

口に含むとほのかに暖かく、優しい甘味が広がる飴です。

この飴の楽しさは、なんといっても歴史が長いということ(神功皇后は西暦170年~269年の人)。
そして身分に関係なく誰でも食べられる飴であったということ。

つまり、日本史に登場する人物のほとんどがこの飴の味を味わっていたと妄想できるのです!

例えば藤原道長とか、平清盛とか、源義経とか、足利尊氏とか、観阿弥・世阿弥とか、織田信長とか、羽柴秀吉とか!

好きな歴史上の人物を思い浮かべて
「あの人もこんな甘さを味わっていたのかな。」
と想像しながら食べるとまた格別に美味しく感じます。

ちなみに、真田昌幸・信幸親子も京都の伏見に屋敷を構えていた時期がありますので食べていた可能性はあります。

中之条町歴史民俗史料館の真田展の目録を手に入れましたv

現在、中之条町歴史民俗資料館で開催中の
「戦国大名 真田氏の成立」
の展示品目録を手に入れました!
全ページフルカラーで写真と解説が載っており、古文書も活字化されているという優れものですv
展示目録


幸隆公の絵のつるっぱげ振りに笑い、信幸公や矢沢頼綱公の鎧の美しさに溜息をつき、書状を音読して楽しみました。
何故か2点だけ井伊家家臣の史料(兜と軍配)も展示されているようです。

こんだけ展示物が見れて入館料200円は安いなあ。中之条町へ行って実物を目にしてみたかったです。
私の代わりに資料館へ行ってくれた妹よ、ありがとう!
必ずお礼をするからこれからもよろしく!

物集女城へ行ってきました。

リンク先の「玉姫街」管理人の和泉様につき会っていただき、昨日「物集女氏の館跡」を見に行ってきました。

物集女氏とは、京都のはじっこで勢力を誇っていた土豪でした。
  ***
戦国時代に信長が京都の治安を預かるようになり、近辺の土豪達はほとんどが信長に恭順して領地を安堵してもらいました。
しかし、物集女氏ただ一人が
「先祖代々守ってきた土地を、どうして後からやってきた信長に保証してもらわなければならないのだ!」
と信長に反抗しました。
たかが一土豪とはいえ、信長に反抗したことで物集女氏の名前は西日本にとどろきました。
困った信長は、当時勝竜寺城を治めていた「細川幽斎」に物集女氏のことを任せました。
頑なな態度を崩さない物集女氏に困った「細川幽斎」は物集女氏を勝竜寺城へ呼び出して暗殺してしまいました。

物集女氏の一族は土地を捨てて遠くへ逃げることになりました。
が、地元の住民が物集女氏の館跡を大切に保存をし続けました。
今でも物集女氏の館跡は史跡として残っており、中世の村落や土豪の研究に役立っています。
 ***

戦国時代の村落について知ろうと思えば必ずぶつかるのがこの物集女氏なのです。
和泉様も興味をお持ちとのことでしたので「物集女氏追いかけツアー」を企画して付き合っていただきました!

まずは物集女氏館跡
物集女氏館跡

現在は畑になっていましたが、館を防衛した堀と隅っこに生えていた楠は500年前のままの姿を保っていました。

次に物集女氏が関わっていた向日神社
向日神社

この神社には秀吉が立ち寄ったことがあるそうです。
地元住民におだててもらった秀吉が喜んだという昔話が残っています。

そして向日市図書館にて物集女氏関連の史料をゴソゴソ漁り、昔話を見つけて笑い、ついでに長岡京の歴史館に立ち寄りいろいろ笑ってきました。
向日市のプロデュースする「長岡京の紹介」はいろいろ素敵です。
古代史に興味の無い人でも必ず笑えます!
歴史を笑って学べるというのは本当に素敵なことです(笑)

最後に物集女氏が細川氏に呼び出された勝竜寺城へ行って細川ガラシャ祭りの準備を眺めてきました。

無事に「物集女氏が細川氏に呼び出されたぞコース」を踏破し、お疲れ様とするべき所で和泉様を拉致して家に連れ込み、パソコンのお絵かきソフトの使い方を教えていただきました(ありがとうございました!!)。
和泉様のご教授の元、真田家御事蹟から読み取れる真田信幸公のイメージを形にした所こうなりました。
信幸兄上のイメージ
猪武者でございます。あくまで私個人のイメージですので文句は受け付けません。

いろいろお話を伺ううちに夢中になりすぎて終電の時間まで和泉様を引止めてしまい、泊まっていただくことに!
和泉様本当にすみませんでした。いろいろ教えていただいて本当にめちゃくちゃ楽しかったです!!!
目一杯真田が語れて嬉しかったです!
いつか江戸初期の真田家について論文を書いてくださいませ(笑)

楽しいお話をすることができると、もっともっと歴史を知りたくなります。
良い刺激をたくさんうけて、萌えも好奇心も刺激されて、パワーも充電できましたv
これからもHP運営頑張るぞー!
プロフィール

てるてる

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