彼氏できました(バトン)

リンク先のHP「ちろり」様の日記でとんでもないバトンを拾ってしまいました(爆笑)


タイトルに笑ったのでやります。

★ルール★
見たらやる。
タイトルを「彼氏or彼女できました」に設定する。
地雷バトンです。

▼見たらスグやるバトン←これ重要!
 「※見た人は、必ずやること。今すぐやること。」

やりたくない人は見なかった事にしてくだされ。

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今までの苦労は一体・・・・

地図が完成してからこちら、国土地理院のHPを隅々まで読んで頭をひねりながら申請書を書いてきました。

どうしてもわからない所で行き詰まり、地図作成ソフトに何かヒントがないかと説明文を最後の最後まで読んで見たところ、次の1文を発見!

「本ソフトで作成した地図画像を出版物に掲載したり,ホームページ上に掲載することも禁止されています.
ただし,その地図画像が本ソフト「白地図KenMap」の地図画像を編集したものである旨を明記すれば,この限りではありません.」

・・・申請しなくても良かったんだ!

思わず脱力していたところに旦那からトドメの一言。
旦那「じゃあ、今週ずっとやってた事は全部無駄だったんだね。」

う・・・いいんだい、いいんだい。勉強になったもの!

ということで、地図を仮アップしました。
城郭名・関所名などはこれから少しずつUPしていきます。
何とか年内には城郭名を全て記載したいです。

粟餅(あわもち)

昨日、地図を仕上げたご褒美に前から食べたかった「粟餅」を買ってきましたv

粟餅


写真は「北野名物 粟餅所」の粟餅です。

~~~解説~~~

北野の粟餅には長い歴史がある。河内の住人が楠正行(くすのきまさつら)の首塚を守るために嵯峨野に移住し、室町末期に子孫が北野天満宮境内で自作の粟餅を売り評判になった。
江戸時代に入り天和2年(1682)になると、北野天満宮の近くに粟餅を食べさせる茶屋ができ、現在まで「粟餅所」という名で続いている。

店頭で粟餅を注文すると、その場で職人と女将さんが衝き立ての粟餅をきな粉や餡(あん)でくるんでくれる。
その場で食べるも良し、持ち帰るも良し。
もちろん、その場で食べるのが一番美味しい。

参考文献 新聞のコラム「菓子ひなみ」「京の和菓子 辻ミチ子著」
~~~~

食べると粟のプチプチ感を感じることができます。
淡白な味なのですが、噛めば噛むほど甘味が出てきます。

粟というと、米が無いときに食べる雑穀というイメージが強いですが、主食になり得る食べ物だと思います。

地図完成!

8月の末から作っていた
「吾妻・利根郡 真田城郭マップ」
が完成しました!

今週中に国土地理院にインターネット上の掲載許可をとるために申請します!

良く頑張った自分!


和泉様、ペンタブについて教えてくださって本当にありがとうございました!

左和山は松茸の山

先日「松茸」をお裾分けしてもらいました。炊き込みご飯とお吸い物にして旦那とおいしくいただきました。

ご飯を炊いている時に炊飯器から松茸の香りがふわ~っと広がって、それだけでとても幸せになれました。
松茸


というわけで松茸ネタです。

~~~~~~~~
石田三成が居城としていた佐和山は松茸が多くとれる場所でした。
江戸時代には彦根藩の直轄地となり、井伊家の一族が松茸狩りを楽しんだ事もありました。
一度に千本以上の松茸が取れることもあったそうです。
(参考文献 彦根の食文化/彦根博物館)



太閤秀吉から松茸山(佐和山)をもらった石田三成は、松茸の生える場所を切り開いて城を作ったわけですね。更に、それまで地元住民のものであった松茸は石田家の物になってしまいました。

城下町の整備が進み、流通網が整うまで三成は地元住民から恨まれていたかもしれませんね。

石田三成が加藤清正や福島正則から命を狙われて佐和山で隠居することになったのが慶長4年の3月。
関ヶ原の合戦を起こすために佐和山を発ったのが慶長5年7月。

この間約1年。

家康を倒すための準備を松茸の香りに包まれて行っていたのかと思うとちょっと笑えます。

皆様も、彦根に旅行する際は佐和山を眺めながら
「ああ、三成はあそこで松茸に囲まれて暮らしていたんだなあ。」
と想像してみてください(笑)

アタゴオルの映画が上映されます!

アタゴオルとは、二足歩行する猫と人間が共存する不思議な世界を舞台に登場人物が様々な冒険をするという漫画です。

もう30年くらい続いているロングセラーな漫画です。

原作者は「ますむらひろし」

私が大好きな漫画の一つです。

そのアタゴオルがついに映画化されました。
(3年ほど前に「映画化!」との情報を仕入れたのですが、本当に映画化されるとは思ってませんでしたよ・・・。つい先ほどTVCMを見てびっくりしました。)

明日から全国の映画館にて上映されます。

詳しい情報はこちらの公式HPでどうぞ
アタゴオルは猫の森 公式HP

明日か明後日か、とりあえず来週中には見に行きます!

以下は公式HPの予告映像の感想です。
オタクな叫びと原作のネタバレをしているので隠します。

続きを読む

真田サミットinあがつま

今年の真田サミットは吾妻郡で開かれるようです。

開催日は10月15日。
・基調講演、「戦国大名真田氏の成立」講師;中之条町歴史民俗資料館館長、唐沢定市氏
・シンポジウム「歴史を活かしたまちづくり」

場所は吾妻郡東吾妻町の岩櫃ふれあいの里・コンベンションセンターです。
吾妻町のバイパス(国道145号)を走っていると目に入ってくる怪しいお城が会場です。
地図はこちらです。

行きたいなあ。

ついでに14日から中之条町歴史民族史料館でやっている
「戦国大名、真田氏の成立、企画展ー
運営時間;9:00~17:00*入館は16:30まで
休館日;月曜、祝日の翌日」
にも一緒に行きたい。
史料館の場所はこちら

ついでに中之条町の図書館に行っていろいろ見てきたい。
図書館の場所はここです。


史料館から図書館に向かうついでに林昌寺に寄って矢沢頼綱を助けたお地蔵様にもう一度後挨拶したい・・・。
林昌寺はここです


バスと電車で周れる範囲なんだよなあ。

車があればついでに岩櫃城とか、嶽山城とかも周れるんだけどなあ・・・。

残念ですが私は行けないので、行った人のレポートを楽しみにしています。
Y様期待しています!

安知羅様(あんちらさま)

「 信州の民話伝説集成 東信編 」という本に載っている話です。
文章をそのまま載せるわけにいかないので少々アレンジをしております。

「安知羅様(あんちらさま)」
*********
昔昔、真田幸隆という武将がいた。
幸隆には可愛い可愛い娘がいた。

娘は父親が知らない内に、天狗と良い仲になっていた。

ある戦の最中に、幸隆はふと娘のことが気に掛かった。
心配になった幸隆は戦が終わるとすぐに家に戻った。

すると、娘が天狗の子供を出産しているではないか。

幸隆は驚いて赤ん坊をほおり投げた。
しかし、赤ん坊は怪我一つせずに笑っている。

幸隆は急に赤ん坊がいとおしくなり、十文字の槍を与えて大切に育てた。

赤ん坊は後に「真田幸村」と名乗り、大阪の陣で十文字の槍をふるいおおいに活躍したそうな。

今も残る「安知羅様」の木像は幸村の子供の頃の姿を写したものだそうな。

*********
幸村の育ての親が幸隆になっております。

昌幸父さんの立場はどうなるのでしょう?
そして信幸兄上はいずこに・・・

きぬかつぎ(月見団子)

今日は旧暦の八月十五日 中秋の名月です。

雲の切れ目から大きな満月が見えます。
と、いうわけで
「きぬかつぎ(月見団子)」です。
きぬかつぎ(月見団子)


~~~解説~~~
中秋の名月に月を眺める風習は中国から伝わり、平安時代初期から宮中や民間で盛んに催された

月見団子の形は各地で異なる。

江戸では三方に丸い団子を盛り、花瓶にススキを入れた。
京都大阪では団子を小芋(里芋の一種)の形になるように尖らせ、豆粉に砂糖を加えて衣とし、醤油で煮た小芋と共に飾った。
現在では豆粉の衣ではなく、餡子で衣を作っている物が多い。

参考文献 新聞のコラム「菓子ひなみ」「京の和菓子 辻ミチ子著」
  ~~~

地方によっては、お供えした団子を近所の子供が盗んで歩くのを許すという風習があるそうです。
神様に供えたものは誰の物でもない、という考え方から来ているそうな。

米粉で作られたお団子は、サクッとした独特の舌触りを感じます。
蒸したり焼いたりする前の「おまい玉(お繭玉)」を思い出しました。

ちなみに私の実家では「お月見用に団子を作った」という記憶がありません。群馬県の地方食の文献で確認を取ったところ、吾妻郡ではお月見に「ぼた餅」を食べているようです。
沼田市を含む利根郡も、団子ではなく「餅」や「ぼた餅」のようです。
団子を食べるというのは都市圏の分化なのかも知れません。

参考文献「聞き書き 群馬の食事」

大阪城天守閣「真田幸村と大阪の陣」展に行って来ました その3

三光神社には、幸村の銅像と「真田幸村の抜け穴跡」があります。
抜け穴の入り口を見ながら抜け穴の出口はどこにあったのかという話に花が咲きました。
仮にも「幸村の抜け穴」を名乗っているのですから、大阪城内の真田ゆかりの場所から掘られていて欲しいものです。

神社を後にして、最後に梅田のジュンク堂書店の郷土史コーナーで楽しみました。
大きい本屋さんはいろいろ充実していて楽しいですねv
すでに持っている「武田氏研究 33号」をわざわざ探し出して
「幸隆公v」と盛り上がり、城郭研究の本を見て値段に溜息を吐き、修験道の本を見て盛り上がりました。

修験道、いいですよね~~~。
真田家好きの自分としては、白山の修験者や嶽山の修験者や巫女(禰津のノノウ)のあたりも勉強したいのですが今はそこまで手を伸ばす余裕がありません。いつか、きっと!

とりあえず「百姓から見た戦国大名 黒田基樹」という本を買って帰りました。
民百姓と大名との関わりを研究した本です。まだ途中までしか読んでいませんが、とても面白いです。

そんなこんなで楽しんでいたらあっという間に日が暮れてしまいました。
和泉様、雨の中お付き合いありがとうございました!
大変勉強になりました!


真面目な部分だけを抜き出すとこんな感じの一日でした。
ええ、真面目な部分はほんの1割り程で残りの9割はものすごいあほな話をして笑い転げていました。
いや~本当に楽しかったです。
自分用のメモとしてあほな話の一部を隠しておきます。
和泉様、本当に楽しかったです。
またお話してくださいませvvv

続きを読む

大阪城天守閣「真田幸村と大阪の陣」展に行って来ました その2

今回、生まれて初めて大阪城天守閣に登りました。
予想していたよりも広かったです。

内部で展示されている甲冑を見ては騒ぎ、掛け軸を見てははしゃぎ、
書状を見ては音読してました(笑)
和泉様が丁寧に解説してくださったので、書状の前後の状況も詳しくわかりました(ありがとうございました)。

今回一番私のツボだったのは、1600年3月に昌幸公が信幸公に送った書状でした。

簡単に意訳します。
(病気で領地へ戻った信幸に向けて)
「どのようにお過ごしでしょうか。油断なく養生することが大事です。このたび伏見から大阪へ引っ越すことになりましたのでご連絡いたします。何も心配しないでとにかく養生してください。
(略)
先日申し上げたように貴方の屋敷にふさわしい場所を見つけたので以前の屋敷と交換しました。左門佐の屋敷の隣です。
2軒の内1件は地形が低く改築に手間がかかるので左門佐へ渡しました。

内府様が大阪に居住することになり、大名小名はことごとく大阪へ引っ越すことになりました。
私達も近いうちに引っ越します。またご連絡いたします。
 昌幸 」

昌幸公の父親としての一面を見れたと思いました。
真田家は本当に家族仲がよいですねv

一時間程で全部見て周る予定だったのですが、気が付けば3時間以上展示会場で楽しんでいました。
集中すると時間が過ぎるのが本当に早い!

天守閣から外に出ると、大阪城の地下10mに埋もれている石垣が公開されていました。
なんでも豊臣秀吉が建てた大阪城を徳川勢が埋め立ててその上に現在の大阪城を築いたのだそうです。
10mも盛り土をしたんですよ!
徳川勢の「豊臣の痕跡を消し去る!」という執念に驚くやら呆れるやら。
工事に駆り出された人足もご苦労様なことです。

地下の石垣を楽しんだ後で遅い昼食をとり、最後に幸村の抜け穴を見に三光神社へと向かいました。

続きはまた明日書きます。

大阪城天守閣「真田幸村と大阪の陣」展に行って来ました

今日はリンク先のHP「玉姫街」の管理人和泉様と一緒に大阪へ行って来ました。もう、むちゃくちゃ楽しかったです!
和泉様、本当にありがとうございますv

一番の目的は天守閣で本日から開催される
「真田幸村と大阪の陣」展
です。
が、せっかく大阪にいくのです。どうせなら幸村関連の史跡を回れるだけ回ろうということになり、
・茶臼山の本陣跡「天王寺公園」
・幸村最期の地「安居神社」
・幸村の銅像と抜け穴のある「三光神社」
の3史跡まで足を伸ばしました。

茶臼山はJR天王寺駅のすぐ傍にあったので簡単に見つけることができました。ええ、見つけることはできました。
問題は左右に広がる鉄柵。茶臼山は天王寺公園の鉄柵にすっぽり囲まれていて公園入り口からしか入れなかったのです!
「入り口~入り口~」
と呟きながら柵沿いに歩き続けること10分弱。天王寺公園の外周を半周してようやく入り口を発見!
わ~いvと中に入ろうとすると警備員に止められました・・・。

警備員「ここは正規の入り口ではないので、あちらの入り口でお金を払って入ってください!」

なんと、天王寺公園は有料だったのです!(知らんかった!)
警備員さんに教えていただいた道をてくてく歩き、天王寺公園の外周を80%程周ってようやく正規の入り口発見!
反対側から周ればすぐだったのね・・・思わず顔を見合わせました。

いいや、これは幸村公が
「じっくり茶臼山の地形を確認しなさい。」
と自分達を案内してくれたんだ!
と思い込むことで気持ちを持ち直し茶臼山へ!

茶臼山は大阪冬の陣では家康本陣がおかれ、夏の陣では幸村の本陣が置かれた史跡です。

平地の真ん中にちょこんと盛り上がった場所。
それが茶臼山でした。
確かにここに本陣を置いたら自軍の動きはよくわかるでしょう。
兵士達からも大将の位置が一目でわかるでしょう。
野戦で本陣を置くのには理想的な地形だというのはわかりました。
でもね。でもね。
山国育ちの私からすると、あれは「山」とは呼べません。
あれは「丘」です!

大阪って本当に平地なんだなあと実感しました。

茶臼山を下って、次に向かったのは「安居神社・幸村公最後の地」です。
茶臼山から降りてすぐ北に、その場所はありました。
そこはビルの谷間に埋もれてしまいそうな、小さな小さな神社でした。
片隅にひっそりと「幸村公 最後の地」の碑が立っていました。

 雨が降っていました。

500年前、幸村公を慕って大阪城へ入った吾妻衆も存在したと伝わっています。
夏の陣で幸村公と共に果てた吾妻衆もいたでしょう。
夏の陣にて命を拾い吾妻に帰った者もいます。
冬の陣では大阪方の幸村公に仕え、夏の陣では家康方の真田信吉隊に加わっていた者もいます。
冬の陣も夏の陣も家康方の真田信吉隊で参戦した者もいます。
どちらにも参戦せずに、吾妻にて戦の話を聞いた者もいたでしょう。

吾妻衆の子孫の一人として旧主である
幸村公にご挨拶をさせていただきました。

妙な話ですが、一仕事を終えた気分になりました。

 雨が降っていました。
 ・・・さて、誰の涙雨やら・・・

安居神社を後にして大阪城へと向かいました。
大阪城の幸村展については明日書きます。
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