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北氏メモ

メモです。後で清書します。

大塚温泉の整備の後に北能登守は沼田に戻っている?(真田藩政と吾妻郡)

徳川家のせいで北条家に沼田城と小川城を渡したので北能登守は代地として大塚温泉の近辺を与えられたようだ(吾妻記)。

北条征伐に北能登守は参戦している(加沢記)。

北条征伐の後、沼田城と小川城は真田家の手に戻ったが北能登守は小川城城代に戻れなかったようだ(小川城の看板)。

高崎に井伊家が入った時、領地の境界をはっきりさせるための話し合いが設けられ北能登守が真田家の使者として参加している(吾妻記)。

和泉様に教えていただいた話によると、関ヶ原の後に北氏の家来が他の真田家家臣に預けられている(御事蹟)。

慶長年間に大塚温泉近辺の北能登守屋敷が放火されている。下手人は逃亡(吾妻記)。

どの時期にあてはまるのかはわからないが(多分永禄年間)、横尾八幡城の偉いさんになっている時期もあるらしい(御事蹟)。

以上。
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ちょっと忙しいです

すみません。メールのお返事は火曜日までにはなんとかしたいと思います。

言葉バトン

由隆様から「言葉バトン」をいただきました。

パソコンの変換機能の上位5位までを答えるのですが・・・

なぜか一文字の変換しかでてこない。
なんで?なんで?

いろいろいじってみたのですが、原因がわかりません。
と、いうわけで一文字だけの変換です。

『言葉バトン』
お題 「さなだまる」

問1.あなたの「さ」の変換候補上5位は?
1.佐
2.差
3.さ
4.鎖
5.挫

「佐」は猿飛佐助の佐ですね。
最近「戦国BASARA」のことばかりメモしてるから(笑)
ちなみに「戦国BASARA」では猿飛佐助が一番好きですね。操作が楽だし性格が好みです。2番目は本多忠勝で3番目はザビーです。
本多忠勝もザビーも操作しにくいのですが、とにかく面白かったです。

問2.あなたの「な」の変換候補上5位は?
1.名
2.菜
3.ナ
4.奈
5.な

「名」は確実に名胡桃城の名です。「なぐるみ」だと表示されないので「な」+「くるみ」で打ってます。
岩櫃城も一度では変換されないので、「いわ」+「ひつ」で打ってます。
辞書に登録したらいいんですけどね~~~。

問3.あなたの「だ」の変換候補上5位は?
1.だ
2.打
3.陀
4.駄
5.拿

だのつく言葉って少ないなあ。

問4.あなたの「ま」の変換候補上5位は?
1.馬
2.間
3.魔
4.真
5.ま

群馬県は馬の国!幸隆公の馬は「荒井黒」!

問5.あなたの「る」の変換候補上5位は?
1.る
2.ル
3.瑠
4.流
5.屡

問6.問5の言葉だけで文を作ってください

「瑠」璃色のトンネ「ル」をくぐ「る」と 「流」星を「屡」見る高原に出た。
るりいろのとんねるをくぐるとりゅうせいをしばみるこうげんにでた。


屡見る(しばみる)なんて単語初めて知りました。

問7 次の人に回す5文字を
問8 その回される犠牲者を5人

すみません、バトンストップです。


由隆様ありがとうございました!

今日はせっせと地図作り~

写真を載せるページを作ろうと決めたので
「どんなデザインにしよう」
と悩んでいました。
ただ地名や城名を書いてリンクを貼るのではつまらない。
城跡と街道と河川・温泉は密接な関係を持っている。その部分を表現したい。
やはり吾妻郡・利根郡の地図を作って地名を貼って、そこからリンクを飛ばしたい。

と、いうわけで白地図作成ソフト「kenmap81」を使って吾妻・利根郡の白地図を作成しました。
旧街道と河川は「真田藩政と吾妻郡:山口武夫 著 :西毛新聞社」の地図を参考にこれから書き入れます。

問題は、どうHTMLを書いたら部分画像からのリンクが飛ばせるかわからないということ。
HTMLを勉強せねば・・・。
tableタグで何とかならないかな・・・。


そしてもう一つ問題が。白地図は国土地理院の地図を基に作成されているので、インターネット上に公開するには国土地理院に許可をとらなければならないということ。
インターネットを通じて許可を申し込まねばなりません。

初めてだらけでドキドキします。

まずは地図の作成がうまくいきますように!

関西に帰ってきました。

今年のお盆は親戚に会ったり墓参りしたり城廻りしたり、とても充実した休みをすごせました。

関西に帰ってきたので、いくつか写真を載せました。
城や風景の写真がだいぶたまったので写真のページでも作ろうと思います。

今回の帰省では羽田城に行けなかったので次回に再チャレンジを・・・したくないなあ。
整備されていない山城の怖さを仙蔵の城で身をもって味わいましたので遠くから写真だけを撮ろうと思います。

今回一番残念だったのは、沼田でも吾妻町原町(岩櫃城のふもと)でも戦国BASARA2を買えなかったことでした。
真田家の領地で「真田幸村パッケージ」の戦国BASARA2を買いたかったのですが、沼田では売り切れており原町では「前田慶二パッケージ」しか売っていませんでした。
上州で「前田慶二パッケージ」を買っても面白くもなんとも無いので、関西に帰ってきてから買いました。
なぜか関西でも「前田慶二パッケージ」しかありませんでした。
おかしいな。関西では「豊臣秀吉パッケージ」を売っているはずなのに。
ひょっとして全国的に余ってるのか「前田慶二パッケージ」。

また旦那にプレイしてもらって横で笑っていようと思います。

山を三つ登ってきました。

母の趣味は「山野草の採取」です。
私は山城巡りをすると決めていました。
二人の利益が合致しました。

と、いうわけで母と二人で仙蔵の城と羽尾城と長野原城へ行ってきました。


仙蔵の城には道がありませんでした。
遭難するかと思いましたよ。幸隆ファンの人にでも誘われない限りは二度と登りたくないです。

苦労して登ったのに、城跡から嵩山城を見ることは叶いませんでした(涙)
城跡で「幸隆は嵩山城を見て指揮をした。」というのを実感したかった!
悔しいので嵩山合戦の戦場跡まで車で登って嵩山の写真を撮って来ました。仙蔵の城からの眺め



仙蔵の城を後にして、沢渡温泉へと向かいました。バス停の地名をチェックして「八尺原」を見つけておきました。唐沢げんばと真田昌幸が始めて対面した場所です。

沢渡温泉を通り抜け、暮坂峠を西へ西へと進みます。
嵩山城攻略時の真田昌幸が辿った道を逆走しました。
写真は暮坂峠の旧道です。
暮坂峠の旧道



峠を越えたら今度は南下して羽尾駅を目指します。
駅のすぐ近くに羽尾城はありました。
城へ登って降りて、麓で海野長門守の墓を見てきました。

今度は東へ向かい、長野原城へ登りました。
東の上り口から登ったら山頂の東端近くに出てしまい、西端の長野原城本丸まで峰を縦走するハメに・・・。
おかげで長野原城の全容をつかむことができました。

汗と泥でグチョグチョになったので温泉に入ろうと川中温泉へ向かったのですが「本日は入湯休憩お休みします」との看板が・・・。
仕方ないので吾妻渓谷を戻って川原湯温泉に漬かってから帰りました。

いろいろと面白い事がたくさんあったのですが、体力が底を着きました。
関西に戻ってから写真と共にレポートを書きたいです。
今日は寝ます。おやすみなさい。

割田下総の墓へ行ってきました。

「割田下総の墓は中之条町大字横尾字長久保にある」
と知ってから幾年月。メールにてW様に場所を教えていただき、今日はじめて実在を確認致しました。

墓の後ろには文字の消えかけている説明の看板が。
そして割田下総の墓の北東のほうには、唐沢家の墓地がありました。
「真田忍者と中之条町」に記載してあった通りでした。

割田下総が住んでいたと言われる横尾からは、嵩山城がはっきり見えました。横尾村からの嶽山


この場所から東に進むと北条家に属していた尻高城が、南に進むと北条家と戦のあった古城があります。

割田下総は対北条家の戦場の最前線に住んでいたのですね。
しばし感慨にふけった後で、丁寧にご挨拶をして写真を撮らせていただきました。
ネット上では墓の説明をしてある看板の写真のみ公開させていただきます。
割田下総の墓 看板


次に、大塚温泉へと向かいました。横尾から車で10分程の距離です。
大塚温泉は永禄年間に小松姫の知行地となり奥家老の北能登守が管理しました。
その後、街道沿いの温泉として多いに栄えたのですが、慶長12年にお湯の温度が下がった上に、北能登守の屋敷が放火されるという事件が起こりだんだんと寂れて行きました。(吾妻記より)

現在は「ぬる湯」が特徴の温泉として近隣の憩いの場となっております。残念ながら今は施設の改築中でしてお風呂に入ることは叶いませんでした。

「真田藩政と吾妻郡」という本に、「真田昌幸が病弱な小松姫を気遣って温泉を与えた。」という説が載っています。
関が原の後に小松姫は九度山の昌幸に鮭を送っています。

真田家嫡男の嫁と舅は良い関係を築いていったのではないかな、と妄想してしまいます。

沼田城と小川城に行ってきました。

今日は実家に戻る前に沼田城と小川城へ行ってきました。
今回沼田城へ行った目的はただ一つ!

沼田城から名胡桃城と小川城を見る!

小川城と名胡桃城は沼田城の北西にあります。地図上では障害物は利根川のみ。必ず沼田城から見えるはずです。

まずは沼田城の本丸跡へ。御殿桜のある場所です。
ここでは木々が生い茂りすぎて、麓の利根川すら見えません。
次は本丸北の捨郭へ。平八郎石のある場所です。
ここも木々が茂っていますが・・・北西の一角から景色を眺めることができました!
早速写真をパチリ。
上毛高原駅の手前が小川城その左の、川に突き出ている部分が(多分)名胡桃城です。
沼田城 北の風景




沼田城からは近辺の城をほとんど見渡せたみたいですね。
逆に言えば、沼田市近辺の城からはいつでも沼田城の天守を目で確認できたわけで・・・。
一説によると、信幸が建てた沼田城の天守閣は金箔瓦で覆われた豪勢な物だったそうです。
朝から晩まで太陽をキラキラ反射していたであろう沼田城。
近隣住民の迷惑にはならなかったのかしら、と考えてしまいます。
まあ、目印になるので道に迷う人は減ったかもしれませんね。

目的の写真をとったので次は小川城へ。
バスに乗って「上毛高原駅」を目指します。

小川城は沼田氏が築城した城でした。
が、沼田氏が沼田からいなくなってからは小川可遊斉が城主となり、その後で北能登守が真田昌幸から預かりました。
しかし、天正17年に豊臣秀吉の命によって小川城は沼田城と共に北条氏の物となります。
北条家の滅亡後、沼田城と小川城は真田家の手に戻りました。
後に最後の「沼田真田藩」藩主・真田伊賀守が幼少時代をすごした城でもあります。

「上毛高原駅」から徒歩10分。小川城は道端に現れました。
道路から大きな堀へ降りて上って本丸跡に入ります。
本丸にしては狭い感じがしました。看板の説明によると、現在は畑になっている二の丸・三の丸のほうが広く、居住スペースもかねていたようです。
本丸からさら東に進むと崖となっており、足元を利根川が流れていました。

小川城から沼田城が見えないか、あちこち歩いてみたのですが、木々が邪魔でどうしても見えませんでした。
ああ、金ピカの天守閣が残っていれば葉っぱの隙間から沼田城が確認できたのに!

余談ですが、「真田伊賀守の居住区跡」は畑の真ん中でお稲荷さんとして祭られていました。


沼田城も名胡桃城も小川城も、利根川近辺の城はほとんどが崖っぷちに立っています。
この地方の武将は皆、崖っぷちが好きだったのかな。

今日は電車とバスで城を巡ったのですが、とても疲れました。
やはり北毛(群馬県北部)を移動するには車が一番です。

明日は車が借りられるので、吾妻郡の城や温泉をたっぷり楽しんできたいと思います。

これから実家に帰省します。

明日から実家に帰省します。

帰省中に行く予定の場所
・小川城(北氏の居城)
・沼田城
・長野原城(幸隆の弟が亡くなった場所)
・羽尾城(羽尾氏の居城)
・羽田城(羽田氏の居城)
・仙蔵の城(幸隆が嶽山城攻めの指揮をとった城)
・割田下総の墓
・唐沢玄蕃の墓
・大塚温泉(小松姫が真田昌幸からもらった温泉)
・四万温泉
・沢渡温泉
・川中温泉


岩櫃城・嶽山城は以前に登っているので今回はいきません。
果たして全部まわれるのか???
妹から車を借りることに成功したので二日ほどかけて頑張ります!

戦国BASARA 全武将にて天下統一!

まず最初に、
旦那ありがとう!あなたのおかげで全武将のOPとEDを見ることができました!

戦国BASARAは本当に面白かったです。
各キャラクターの個性もすごかったし、モブ武将達の台詞も面白かったです。
そして、笑いのためだけに考案されたようなアイテムの数々!

アイテムで唯一期待はずれだったのは「ゴマすり棒」でした。
公式HPの紹介によると
「ゴマすり棒・・・たくさんほめられていい気持ち」
と解説されたのでものすごーーーーーーーーーーく期待してしまったのです。

幸村が装備すれば武田家総勢による「真田家ほめ殺し大作戦」が遂行されるものだと!


たとえば
板垣信方「ほう、爺様に似てきたのう。」
内藤昌豊「ご立派な子息にて昌幸殿も鼻が高うござろう。」
馬場信房「さすが攻め弾正の孫」
高坂昌信「昌幸殿の若い頃を見るようです。」
保科正俊(注意・BASARAに登場しません)「今度はそれがしが助けられる番かな。」
と、いうぐあいにモブ武将が個々に褒めてくれると思っていたのに!


いえ、確かにたくさんたくさん褒められたのですが・・・期待と全然ちがったのであまり嬉しくなれませんでした。

先日発売された「戦国BASARA2」も相当面白いらしいですね。
買おうかな。どうしようかな。
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てるてる

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