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真田昌幸 便所から密命を下すの巻

え~妄想を語りたい気分なので語ります。

吾妻記という史料に
「真田昌幸が便所から下した密命を木村という小姓がこっそり聞いて、命令を下された人よりも先に命令を遂行してしまった。怒った昌幸は木村を100日間閉じ込めた」
という逸話があります。

(リンク先のHP「玉姫街」の和泉様がこの逸話を素敵な漫画になさっています。「玉姫街」はこちらです

古来から布団の中・風呂・便所は考え事に適した場所として有名ですが果たして(昔懐かしの)ぼっとん便所で長時間考え事ができるのでしょうか。
実家の便所がいまだにぼっとんである私は、難しいと考えます。
まず臭い。夏場に長時間こもるのは自殺行為です。
次に寒い。冬場に長時間こもったら凍死します。
そして狭すぎる。不用意に動けば落ちてしまうし、長時間座り込んでいたら足がしびれます。

以上の3点から、昌幸が命令を下した便所とは、「おまる」の置いてある小部屋であったと推測します。
「おまる」を使用しなければ臭いも無し。足元に敷物を敷けば寒さもしのげるし横になることも可能。一日こもっていても多少はうろうろできるし落ちる心配も無し。

さて、「昌幸専用おまるの部屋」にこもってしまった昌幸を探りにやってきたお小姓 木村さん。彼はどのようにして昌幸の密命を盗み聞きしたのでしょう。

私は「おまるの部屋の前に堂々と待機していた」説を唱えたい。
右手に換えのおまる。左手に補充用の便所紙を持ち、「昌幸専用おまるの部屋」の入り口に座り込むのです。

誰か城中の人間に見られても、
木村「昌幸公の命にていつでも紙を差し出せるよう待機しておりま     す。」
と言えば皆(ああ、お仕事熱心だなあ。)と思うでしょう!
昌幸本人に見つかっても
木村「換えのおまるをお持ちしました。」
と言えば(小姓の仕事を遂行しているだけですので)昌幸も咎めることはできないでしょう。

日本建築は隙間だらけですので、便所の扉に耳をくっつけなくても中の物音は聞こえます。昌幸が声を発すればすぐにわかるでしょう。

真田家の家臣団は昌幸が木村さんの企みに気付くまで二人を暖かく見守っていたらいいなと思います。

以上、妄想終了。あ~~~すっきり。
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北能登守メモ3

北能登守の行動、30分でどこまで拾えるかな?

加沢記3巻

天正8年1月 上杉方の倉内(沼田)城を攻め取るために名胡桃城に集合。明徳寺城を落とす

天正8年3月 名胡桃城と小川城を攻めてきた北条家と合戦。小川可游斎の知略により北条家を撃退。北能登守は名胡桃城へ加勢に行く

天正8年3月24日 小川可游斎の先手として中山城へ夜襲をかける
     (この項目に木村さん矢野殿に拾われるの記述あり)

天正8年5月 小川可游斎、北条家が攻めてくると聞いて小川の城を捨てる。猿ヶ京城の森下左衛門が上杉家を裏切り真田家に属す。

天正8年8月 昌幸が倉内(沼田)城をを攻める。北能登守は小川城にて留守番(上杉家への押さえか?)

天正9年6月 北能登守、小川城の正式な城代となる

今日はここまで。

ざっと読んでいるだけなので、小川可游斎が城を捨てて浪人した理由が良く分かりません。

天正8年の倉内(沼田)城攻めで、昌幸が「唐沢」に声をかけていたのが嬉しかったりvvvv

長五郎餅

先日、用事があって北野天満宮の近くまで行きました。

このあたりは豊臣秀吉が天正15年10月1日に北野大茶会を開いた場所でもあります。

その大茶会で振舞われた茶菓子の一つがこの長五郎餅です。
長五郎餅

~~解説~~
天正年間の始め、北野天満宮の縁日で河内屋長五郎という男が餅を売り始めた。
柔らかな餡を羽二重餅でくるむという今までにない斬新な餅である。
この餅がまた美味い。

北野大茶会の茶菓子として献上されたこの餅を食べた秀吉は、あまりの美味さに感動し
「この餅の名は、主自身の名を取って長五郎餅とするがよい。」
と命じたと言う。

この長五郎餅は現在も当時の製法が守られている。
一個116円とお手軽に買える銘菓である。

参考文献「新聞のコラム 菓子ひなみ」「長五郎餅本舗のパンフレット・HP」
~~

この長五郎餅が現在あちこちで売られているアンコロ餅の祖となったそうです。
羽二重餅の歯ごたえのよさと餡子の控えめな甘さがたまらない。
本当に美味しいお菓子です。

せっかく北野天満宮まで出かけたので、ついでに近所の椿寺(地蔵院)にも足を伸ばして
<加藤清正が秀吉に献上した>と言われる椿を見てきました。
季節をはずしていたのが残念です。
もうちょっと早ければ満開の椿が、もうちょっと遅ければ美しい緑葉が見られたのに。

自画像?

旦那が私のイラストを描いてくれました。
左のプロフィールがそれです。

っていうか、人間じゃないんですけど。

旦那「不評だったら消してね。」

ちなみに旦那は絵がド下手です。
好きな戦国武将は竹中半兵衛。性格はオーベルシュタイン(by銀英伝)です。

私の歴史オタクな話題に良く付き合ってくれるイイ人(?)です。

直江山城守の夢占い

なんとか風邪が治りました。
やはり寝るのが一番ですね。

元気になったので、加沢記の気になっていた部分を意訳します。
(その前に「長野原城の合戦」の方を終わらせろって感じですね。)
そう、直江山城守の夢占いです!

原文は「加沢記 巻の2 沼田大乱之事」です。
******

謙信公が初めて関東へご出陣なされた時のお話です。
謙信公は宮野城(猿ヶ京城)へお泊りになりました。
その夜に見た夢を翌朝に直江山城守にお話になりました。

謙信「自分は大きな成殿の中に黙って座っていた。すると七五三の美しい膳が用意されもてなされた。
嬉しく思って膳の一つを見ると、汁やら様々な料理がのっている。
それぞれの膳を見ているうちに、何もしないのに自分の歯が欠けた。

不思議に思って欠けた歯を吐き出してみると、全部で八枚の歯が落ちてきたので手の内に受け止めた。
ここで夢から覚めてしまったのだ。」

さすがは直江山城守です。彼は謙信公の話を聞くとすぐに夢占いをしました。

直江山城守「なんともまあ、縁起の良い夢にございます。まずは盃を出して夢を被い隠しましょう。」

そういうと、とりあえず蓬莱台(三方の上に酒のつまみを置いたもの)に置いてあった土器を出してきました。

直江山城守「謹んで申し上げます。今度始めて関東にご出陣なされました。その途上で夢の御膳は謙信公の前に次々と現れました。
そのうえ、謙信公の御歯が八枚欠けて御手の中に落ちたということは、関東八州を次々と御入手されるという吉夢にございます。」

直江山城守の夢占いを聞いた謙信公と諸将らは一同喜びお祝いをなさりました。

謙信公がおっしゃるには、

謙信「今年は庚申の年であり、今日は庚申の日である。自分も申年生まれである。今いる里は関東へ出陣する門出祝いの里であるから名前を『猿ヶ京』と改めよう。」
とその地を猿ヶ京と名付けました。

その後で、門出の起請をしようと有名な沼田三十三ヶ所の巡礼所へと向かわれました。

*****

ちなみに、この逸話は永禄3年の話と伝わっています。
永禄3年に直江山城守兼続は生まれました。
0歳の乳児が夢占いをするのは無理でしょう。

せめて天正年間のはなしだったら、兼続は10代の少年~青年になるので話に信憑性がでてくるのにな。

江戸時代の人には「直江兼続=謙信の軍師」というのが常識だったのかな???

風邪が治りません

先週から引き続けている風邪が治りません。
薬でごまかしごまかししていたら、とうとう本日ぶっ倒れました。

ひょっとしたら、頭痛やのどの痛みはヒノキ花粉のせいかもしれませんが、熱まででたら完全に風邪でしょう。

参った参った。
明日は仕事に行けるといいなあ。


おまけ。
旦那に夜桜の写真をもらいました。
綺麗なので載せます。
!cid_A0001.jpg

春眠暁を覚えず zzz

昨日今日と暖かい日が続きますね。
おかげで昼寝したくてたまりません。

眠たいのは私だけではないようです。

野山も草木の新芽に彩られ、眠たそ~なぼや~~っとした新緑へと変わりました。

眠たそうな黄緑色のあちこちにぼんやりとした薄紅色が。
満開の桜です。

遠くから眺めると山も桜も春の日差しの中でまどろんでいるよう。

そんな桜を室町時代の人々は「夢見草」と呼びました。

うえ置きて 
  たとえにやみる 夢見草 
     あすをもしらぬ 今日の命を
(蔵玉集)

そんな夢のような桜を表現した菓子司花月の生菓子「夢見草」。

夢見草


表面のピンクは赤と白の「ういろう」を重ねて表現されています。
中の白餡がほろほろと口の中で蕩けていきます。
ういろうの弾力と白餡の柔らかさが絶妙な食感です。

ちょっと上等なお茶が欲しくなる一品でした。

参考文献 新聞のコラム「菓子ひなみ」
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