北能登守メモ2(4月12日に地図を直しました)

元亀元年(1570)以前の沼田城周辺の勢力図
青は川、茶色は三国街道のおおよその位置です。
赤丸が城です。
20060413001821.gif



元亀元年に信玄がやってきて、小川城の小川家と名胡桃上の鈴木家などの土豪達は武田に寝返るわけですね。

加沢記からの拾い出しはまた今度。
今週中に続きを書きたいです。

体調を崩しました

ちょっと風邪を引きました。
コメントのお返事と北能登守メモの続きは体調がもどってからにします。
すみません。

北能登守メモ

3月2日に書いた「小松姫の知行」に登場した
『奥様の家老である北能登守』。

とても気になる方なので、加沢記の中から探してみました。

加沢記2巻より

1.信玄公沼田発向のこと
元亀元年に信玄公が岩櫃城に入り尻高城を攻略しました。
当時、沼田は上杉謙信の統治下にありましたが、沼田家に属していた時侍立ちは次次に武田信玄に下りました。
そのなかに小川城主「小川可游斎」を始め、「北能登守」もいました。

2.沼田大乱事
 小川可游斎が小川城をもらった経緯が書いてあります。
 
小川城の正当な城主が酢の壷にはまって死んでしまったので北能登守と南将監が力を合わせて小川城を守っていたところ、上方から「赤松孫五郎」という浪人がやってきた。
この赤松という男、文武に通じ、言うことなすこと卒がない。
全てにおいて赤松に勝てる相手がいないということになり、だんだん赤松が小川城の城主のようになってしまった。
今では赤松が「小川可游斎」と名乗り、小川城を治めている。

余談ですが、この項に書いてある謙信公と直江山城守の夢占いが気になって仕方ありません。

~~~
一時間かけて加沢記4巻までの北能登守の名前を拾ってここに書いたのですが、突然データが消えました(涙)
また明日、拾い直して書きます。

コメントのお返事も明日に回します。すみません。

金平糖

桜の金平糖
熱い熱い鉄板の上で砂糖の結晶をゴーロゴーロと転がし、上から砂糖水をタッチンタッチンとたらすことによって生まれる小さなお星様。
小さな棘をいくつも持つのに、口の中でさらりと消えていく不思議なお菓子「金平糖」

戦国時代に日本にやってきた可愛いお菓子です。

~解説~
もともとは西洋の菓子で日本に伝来したのは1564年以降。
ポルトガルの宣教師「ルイス=フロイス」が永禄12年(1569年)に信長へ献上しました。

長い間製法が秘密とされていたので、輸入品を購入しなければ食べることができませんでした。

日本で作られ始めたのは元禄(1688~1704年)の頃で、高級品として大名の茶菓子などに使われました。

参考 新聞のコラム「菓子ひなみ」 あかね書房「おーい、コンペートー あかねノンフィクション(中田 友一 著)」

~~~

現在ではお菓子屋さんで普通に買えますが、昔は庶民には手の届かない高級品だったのですね。
甘い物を気軽に買える現代に生まれて良かったなあとしみじみ思います。

今回食したのは江戸時代からの製法を守り続けている「純嘉屋清水」の桜の金平糖です。
砂糖の部分をなめ終わると最後にもち米が出てきます。
甘味の中に桜の風味が広がる上品な味でした。

戦国時代の金平糖もこんなに優しい味だったのかな?

明日は地鎮祭

新居の建築のため、先日旦那が生まれ育った家を解体し土地を更地にしました。

解体当日は旦那とお義母さんが立ち会いました。

解体業者「解体の現場を見ると、皆さんいろいろ思い出して切なくなるみたいですね。」

旦那・お義母さん「いえ、全然(満面の笑み)」

二人とも家を新築するという長年の夢が叶い、解体の現場を見学できてとても満足だったそうです。

土地が更地になりましたので、明日地鎮祭を行い土地神様に挨拶します。

神主さんは地元の神社にお願いしました。古くから建築予定地一帯を守ってきた神様の神社なので安心です。

地鎮祭を終えたら、家族でお墓参りに行ってきます。
ちょっと早いお彼岸と新居の建築報告です。

今日は墓参りのためにせっせと「ぼた餅」を作りました。
小さなぼた餅が全部で12個。後で食べるのが大変です。

さ~て余った餡子はどうしようかな。

ふうき焼餅

実家の庭にフキノトウが顔を出したそうです。

今年もおやつに「ふうき焼餅」が出る季節になりました。

「ふうき焼餅」とは実家で祖母が作ってくれる、初春限定のおやつです。作り方やみためは「お焼き」に似ています。

他県では食べたことも聞いたことも無いので、おそらく吾妻地方の郷土食なのでしょう。

ふうき焼餅の作り方(祖母の場合)

1.フキノトウを摘んでくる
2.フキノトウを洗って細かく刻む
3.小麦粉1kgに対してフキノトウをカップ1杯混ぜる
4.味噌・砂糖を約カップ1杯混ぜる(好みで量を調節)
5.ベーキングパウダーと適量加える
6.水を適当に加える
7.お団子のように丸めてホウロク(フライパン・ホットプレートでも可)で焼く
※細長く丸めて油で揚げてもよい


小麦粉を使っているのに呼び名が「餅」である所に地方の歴史を感じます(吾妻地方は米が取れにくい土地なので、近代になるまで農民の主食は小麦と蕎麦でした。)

子供の頃は苦くて大っ嫌いなおやつだったのですが、今では大好物です。
ほろ苦さがたまらなくおいしい。

自分で作っても、決して祖母のようにおいしくできないのが悔しいですね。
ええ、大失敗して焦がしたので写真は撮りませんでしたとも!

和菓子菓子

親戚から頼まれていた「おしごと」が一段落したので、自分にご褒美を買ってきました!

これです!
清浄歓喜団


どこかで見たことあるような、と思ったアナタ。
今年のお正月にドラマ「風林火山」をご覧になりましたね?
これはドラマの中で、三条の方が由布姫に食べさせるために京都から取り寄せたお菓子です。

~~解説~~
「正式名称は『清浄歓喜団』。京の人は略して『お団』『聖天さん』と呼ぶ。
奈良時代に遣唐使により伝えられ、密教のお供え物とされた。
白檀・桂皮・竜脳など、七種の香を入れた皮で小豆餡を包み、八葉の蓮華形に結びごま油で揚げる。
貴族のみに与えられた高級菓子である。

伝来時は柿や杏など木の実を甘草・あまづらなどの薬草で味付けして用いた。小豆餡が使われるようになったのは江戸時代中期からである。

作り方の秘法を比叡山の阿闍梨(あじゃり:偉い行者)から伝授されたので、菓子職人は必ず精進潔斎を済ませてから調理する。

   参考:新聞のコラム「菓子ひなみ」・和菓子の老舗「亀屋清永」のパンフレット」

~~~~

あのドラマ、中身は散々でしたが甲冑と食べ物には気を使っていたのですね。

どんな味かと申しますと
旦那「この皮硬いな。T通りに行くとこんな匂いのする場所があるね。俺は好きだけど好みが別れると思う。」

てるてる「お寺を食べてるみたい!

葬式や法事でお寺へ行くとものすごい御香の香りがするじゃないですか!
あれに上品な甘さを加えた味です!
一口目はあまりの香りの強さに叫びたくなりました。
「だれだ!アンコと御香を混ぜようと思いついた奴!」

が、だんだんと甘みと香りとごま油の香ばしさが交じり合い、なんともいえないおいしさが広がってくるのです!

不思議なことに食べ終わった時には口の中がさっぱり爽やかになっていました。

不思議はそれで終わりませんでした。

食べ終わった後、それがこの御菓子の本質だったのです。


口の中にかすかに残るアンコの甘味。鼻の奥にかすかに香る御香の匂い。油で揚げた物を食べた後の満腹感。

それらが混ざり合った「おいしさ」がず~~~~~~~~~っと感じられるのです。
食べ終えてから一時間たってもまだ口の中が「おいしい」のです。
もったいなくて歯を磨くことができません!

恐るべし「みやこ」の味文化!

清浄歓喜団は京都市の「亀屋清永」で購入できます(京都ならデパートのフロアに入っていることもあります)。
一つ525円(税込み)。

千年守られ続けた味です。一度味わって損は無し!

ぼくらの戦国白球伝 感想

今週号は昌幸が初めて喋りましたね!
どうやら思ったことをそのまま口にだしてしまう性格のようです。
今後に登場するかどうかわかりませんが、石田三成とキャラがかぶら(以下略)
待てよ、わざときつい事を言って人間観察を楽しんでいるのかもしれない。そうだと良いな。


4名臣も二人だけ登場しました!
怖いお顔の「馬場 信春」と糸目の「高坂 弾正」のお二人です!
馬場さんのユニホームのポケットに、芋虫がいないか探したのは私だけでしょうか?

・・・あれ?なんで高坂さんだけ官職名なの?
え、昌幸へ話しかけるときは昌幸君なの!
どうやらこの漫画の高坂さんは武田家小姓のお兄さん的存在のようです(そういえば名称勤行録に小姓達が高坂さんに質問に行く話しがあったなあ)。


残念ながら「内藤 昌豊」と「山県 昌景」は登場しませんでした。
と、いうわけで今回も登場しなかった理由を妄想します。

内藤昌豊の場合
 今回の死合で御館様から下されたポジションはなんと「マネージャー」だった。マネージャーが嫌だ。自分も死合に出て活躍したい。と、散々ごねた内藤であったが、他の家臣に
「マネージャーも大切な役所だ。」
と諭されしぶしぶ引き受けることに。
死合中は静かにスタンドで記録を取っていたのでしょう。

山県昌景の場合
 選手として抜擢されていたが、死合当日に審判から
「山県選手は背が低くストライクゾーンが狭すぎるので選手として認められません。」
とスタンドに追い返されてしまった。
しかたないのでスタンドで暇つぶしに内藤さんとナゾナゾ遊びに興じていたのでしょう。
 山県「さて、ナゾナゾです。いとけのくそくてきをきる」
 内藤「・・・(考え中)・・・それがしならば『小太刀』」

・・・なんだかとても可哀想!二人とも実力あるのに!
内藤さんはくやしまぎれに馬場さんから芋虫を取り上げればいいと思います。

妄想終了。

来週は話が岐阜へと戻るようなので流し読みに戻ります。
また、私のツボにはまる展開になったら感想を書きたいと思います。

追記

上杉謙信は3週間に渡って不憫な子でした。
上杉家の家臣も一人くらい出てほしかったな。

小松姫の知行

吾妻記より意訳

文禄年中のことです。下尻高村は真田伊豆様守の奥様の知行となりました。

尻高村の中にある大塚村に北能登守様のお住まいが作られ、奥様の家老として尻高村をお納めになりました。

地侍たちは全てについて北能登守様に相談をして、物事をお決めになりました。


この奥様とは、本田忠勝の娘・通称「小松姫」です。

吾妻記の記述を証明する文書が存在するのならば、小松姫は自分の領地と家臣を持っていたということになりますね。ということは、政治の表舞台に立つこともあったかもしれない。「奥」だけの存在はなかったのかもしれません。


この文章のおかげで戦国時代の女性についてのイメージが大きく変わりました。
ひょっとしたら、「他家に嫁いだ女性」は元々いた家臣達と同等の扱いだったのかも。
格だけ与えられて政治には関わらなかったとも考えられますが・・・。


小松姫には「徳川家への献上品をくすねた」という逸話があります。
ひょっとしたらこのお話は、小松姫の個人資産が多かったので生まれた逸話かもしれませんね。

・伊豆守の奥は女の身でありながら財産を持っている
   ↓
・稼ぐ手段もないであろうに何故財産家なのか
   ↓
・おそらく実家への献上品をくすねたに違いない

うん。小松姫のことを良く知らない人の僻みっぽいな。

尻高村や大塚温泉からの税収はいかほどだったのでしょうね?
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てるてる

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