温泉温泉v

役所から何とか家の建築許可が下りそうです。

この半年、家建築のためいろいろやってきました。
ご苦労様の意味を込めて、明日明後日は温泉に行きます!

うれしいなあvvv
温泉大好きなのです(関西には温泉が少なくて寂しいです)。

車の免許を取り立ての頃はよく近場の無料温泉へドライブしました。
草津へ行ったときは駐車料金を取られてしまったので完全に無料にはなりませんでしたが(苦笑)

無料のお風呂は男女混浴だったり(四万温泉の奥の露天風呂・川原湯温泉の露天風呂)、道路から丸見えの露天風呂だったり(六合村の尻焼き温泉)で中々入るのに勇気が要るものもありましたね。屋根つきで脱衣所つきの場所がほとんどです。
懐かしいな。


真田太平記を読んでから思っていたのですが、群馬県には真田氏の隠し湯のようなものは無いのでしょうか?(別府温泉が「真田の隠し湯」と設定されていてとても羨ましかったのです)


岩櫃城周辺で隠し湯になり得る温泉について考えてみました。

岩櫃城の近くで室町時代以前から温泉が沸いていた場所は・・・

草津や伊香保、加沢、万座温泉は岩櫃城から遠いし当時も知名度が高いから除外。

四万温泉は真田信綱・昌幸が復興したから可能性があるのですが、当時の知名度の高さと街道沿いなので除外。
と、なると残ったのは・・・

・沢渡温泉(中之条町)
・川原湯温泉(長野原町)
・川中温泉(吾妻町)
・大塚温泉(中之条町)
となります。うう~~ん。川原湯温泉も街道沿いだからはずしたほうがいいかな??

沢渡は唐沢玄蕃の知行になっています。仕えている相手が「湯治をしたい」と言ったら喜んでお世話したかもしれません。

大塚温泉は沼田へ向かう街道沿いから少し入った所にあります。江戸時代初期に「信幸公奥家老(小松姫に付いて来た武士らしい)」が治めた時には庶民向けの温泉でした。真田の湯の資格はあると考えてもいいでしょう。

川中温泉は誰の知行かはっきりしないのですが、4つの温泉の中で一番岩櫃城に近いので資格ありとしましょう。


と、いうわけで
・沢渡温泉 
・大塚温泉
・川中温泉
は真田の隠し湯の可能性有りと私は判断しました。

今度実家に帰ったらこの3箇所の温泉につかってこようっと。

ぼくらの戦国白球伝 感想

いよいよ上杉チームとの死合いが始まりました!
昌幸が生意気でとても可愛かったです。

真田昌幸はずいぶん無口な設定ですね。今後「上杉景勝」が登場することになったらキャラがかぶらないのかな。
(まあ、上杉景勝が登場するのかわかりませんが。)
景勝のオプションに猿が付いてれば区別がつくかな。
通訳に直江兼続が着いていてもいいかも(笑)兜の愛パワーで景勝よりも目立つこと間違いなし!

来週も川中島戦が続くみたいです。
武田4名臣くらいは登場してほしいですね!

4人ともたくさん逸話をもっているからキャラとして作りやすいと思います。
・真面目なバント職人「馬場信春」
とか、
・盗塁王「高坂昌信」←逃げ弾正だから
とか、
・頼れるレフト「内藤昌豊」(怒らせると乱闘になります)
とか、
・元気一杯のプレーで家康をファンにしてしまう「山縣昌景」
とかね!


・・・今週号で登場してた謙信に3振していた武田家家臣は誰だったんだろうな・・・あの人が高坂弾正だったら嫌だなあ。

割田下総は二人いた

文献「吾妻記」によると、割田下総には同じ名前の息子がいました。

吾妻記より
「割田下総と申者 武道専と稼ぎ 武辺しのびの名人なり、
信州川中島合戦のとき、越後の長尾謙信秘蔵の刀を盗取、子息下総にゆづりける。」

ここで私が疑問に思っているのは、
父と子のどちらが「割田 下総 重勝」なのか
ということです。

割田下総の戦働きのすべてが一人で行われたのか、親子の共同作業だったのか。
唐沢玄蕃に嫁入りした娘はどちらの娘だったのか。
高山村で忍者仲間に討ち取られたのはどちらだったのか。


真田藩政と吾妻郡によると
「沼田の割田氏は横尾村から出でて真田氏に仕官した。真田氏滅亡後浪人となり、月夜野町に住んだが土岐氏が沼田に入ると再び仕官した。」
とある。
横尾村は割田下総が住んでいた場所である。
大阪の陣の後にも真田氏に仕え続けた「割田氏」は割田下総の
子孫なのかも知れない。

割田下総 出生の秘密

ここ数日、ちょこちょこと割田下総の逸話をまとめておりました。

その時に読み返した「真田藩政と吾妻郡」に気になる一文が。

矢沢薩摩守右馬介の子が割田下総である
(真田藩政と吾妻郡 P134)


・・・割田下総は真田昌幸のいとこだったんですか!

この情報は割田家の家系図に書いてあるそうです。
家系図だけにしか記述がないのなら、鵜呑みにして信じるわけにはいきませんが・・・・・。

面白い話です。

「ぼくらの戦国白球伝」

週間少年マガジンに連載中のこの漫画。
現役高校球児が戦国時代の織田信長の下へタイムスリップし、全国の大名達と野球の試合死合をするというギャグ漫画です。

普段はさらっと流し読みしかしないのですが・・・

今回はなんと武田チームに「真田 昌幸」が登場しました!
しかも家康が
「真田幸隆の息子」
と説明しています!幸隆の名前が出ただけでも嬉しいv

思わず武田チームに幸隆がいないか探してしまいました。
しかし、どの武将が幸隆なのか判別できませんでした。残念。

悔しかったので、幸隆が野球をするとしたらどのポジションに就くのかと考えることしばし。
(調略を活かせるポジションってあるのか???
・・・・選手よりも、選手をスカウトする仕事の方が似合っているかもしれない。

きっと野球を練習してみたけど、年のせいで息子達に敵わなかったんだよ。派手な死合は息子達に譲って自分は裏方に徹しているんだろうな。うん、きっとそうに違いない。)


来週号の「上杉家VS武田家」にどの武将が登場するのか楽しみです。

今日は節分

旦那から
「今夜は鰯!」
とリクエストがありましたので、仕事帰りに恵方巻きと鰯を買って帰りました。

夕飯時に今年の恵方を向いて二人でムグムグと恵方巻きをほおばること10分。

旦那  「恵方巻きは関東にもある文化?」
てるてる「実家では食べたこと無いな。恵方巻きは30年くらい前に大阪の海苔組合が販売促進のために始めたキャンペーンなんでしょ。」

旦那  「じゃあ、鰯は?関東でも食べるでしょ。」
てるてる「・・・実家で食べた記憶がないなあ。文化として鰯を食べられるのは江戸や大阪みたいに海に近い場所じゃない?実家みたいな山奥に生の鰯が入ったのって昭和になってからだと思う。山奥には干し魚でなければ輸送できなかったからねえ。」

旦那  「豆まきはするよね。」
てるてる「したよ!実家の場合は、まずわっぱに入れた豆を神棚と仏壇にお供えしたな。その後で父が居間と座敷に『鬼は外』って豆をまいて次に子供が豆をまいたよ。最後に庭に豆をまいてから家族全員で年の数だけ食べたなあ。祖父が生きていた頃は祖父→父→子供の順に豆を撒いたよ。」


節分という国民的行事にも、地域や家の違いが出るものですね。
子供の頃は、実家のやり方が全国的なやり方だと思ってました。

他の土地へ行ったらまた違う方法で季節の節目を迎えたのだろうな。
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