戦国無双2が出ますね

ゲームメーカーK○EIから「戦国無双2」が出るそうですね。

今度の舞台は関が原が中心になるそうな。

使用できる武将は前作からの持ち越しもあるそうで、「真田幸村」は今作も登場できるようです。

と、いうことは今作でも真田家家臣がモブ武将(プレイヤーが操作できない武将)として登場するのですね。

前作「戦国無双」では真田家家臣として以下の5人が登場したようです。
・矢沢頼綱  (真田幸隆の弟)
・矢沢頼貞  (↑の息子)
・金子美濃守 (沼田衆)
・富沢伊予守 (吾妻の岩下衆 吾妻七騎の一人)
・唐沢玄蕃  (吾妻七騎の一人)

今度はもうちょっと実在した真田忍者が増えるといいな。
吾妻七騎全員出せとは言いませんが、少しくらい増えてるといいな。
たとえば、
・出浦対馬守・・・昌幸に仕えて忍者の養成に務めた。自身も優秀な忍術の使い手であったらしい。
・横谷左近・・・出浦と並んで忍術の名人だったらしい。
・割田下総・・・武辺しのび
・来福寺左京・・・出浦と共に忍者の養成に務めた。

この4人なら「唐沢玄蕃」くらいの知名度があるはず。

ゲームに登場する→知名度が上がる→興味を持つ人が増える→調べる人が増える→新たな事実が発覚!
というふうにならないかな。なったらいいな。

ちなみに、私には戦国無双2を買う予定はありません。
発売されたらネットでモブ武将名をチェックしようと思っています。

契約を交わしました。

先日決定した住宅会社と契約を交わしました。

会社から派遣されてきた営業さんと設計さんに約款の説明を受けること2時間(質疑応答の時間も含む)。
特に問題なくはんこを押すことができました。

これで後はお金を払うだけ!


ここでまたもや問題が発生・・・・。

前にも書いたのですが、私達の家が建つ土地は「調整区域」に入ってます。
「調整区域」はめったやたらに家や建物が建てられないのです。
ということは担保としての価値がほとんど無いということなのです!
銀行から住宅ローン借りられないかもしれない・・・・・・・・。


営業さんが笑顔で
「大丈夫ですよ。」
と言ってくれたのですが、どうなることやら・・・。

住宅会社決定!

やっと決まりましたよ住宅会社が。
旦那も自分もへろへろに疲れてしまって、決まってから今日までの何日かは仕事と最低限の家事以外の時間は二人そろって眠っていました。


実は家を建てるという計画が始まってから一年以上たっております。
家を建てて旦那のご両親と同居しよう!とスタートしたこの話。
簡単にこれからのことを話し合い、いざ行動に移した初めに躓きました。
建築予定地が住んでいる街の「調整区域」に引っ掛かっていたことが災難の始まりでした。

「調整区域」に掛かっている土地はいろいろな条件を満たしていないと新たに家が建てられなかったのです。

条件を満たしているか確認を取るために何度も役所へ出向き、税務署で調べ、法務局へ書類をもらいに行き、時にはたらいまわしにされあちこちに電話したり、親戚に古い書類を調べてもらったり・・・

普通に家を建てるならばしなくても良いことをたくさんやりました。


その他にもいろいろあるなかを縫って住宅展示場を見に行ったり工場見学に行ったり、営業さんと延々と議論を交わしてみたり・・・。


おかしい。家を建てるってのはもっと希望に満ちてわくわくドキドキするものではなかったのか?うちらは何でこんなにヘロヘロに弱っているんだ?
そんな疑問を心に抱きつつ、やっと土地の問題が解決したのが今月初めでした。

ここまではあまり「自分で考える」という作業をしなくても良かったのですけどね。一番しんどい仕事は旦那がやってくれたので。


その後で、改めて『自分』のライフプランとマネープランを作成。
家族計画。
将来起こりうる介護への考え方。
自分の未来。

じっくりとそれらに対する自分の考えをまとめて、改めてどの住宅会社に頼むか旦那と話し合いをしました。


住宅会社を決めたからには、これから家が建つまでを目一杯楽しみたいと思います。

常田新六郎(真田幸隆の弟) 羽尾氏に討たれる

加沢記では、幸隆の弟「常田 新六郎」は長野原城にて羽尾氏に討たれてしまいます。

羽尾氏はこうして
「真田幸隆の恩人」から「幸隆の弟の仇」になってしまうのでした。

岩櫃城を攻略した真田幸隆は羽尾氏の一族の命を奪うことを行いませんでした。

岩櫃城落城の後、羽尾氏は雪の降りしきる中、大戸の方角へと落ち延びていくのでありました(後に大戸氏によって毒殺されます)。

羽尾氏の弟である「海野 長門守 幸光」「海野 能登守 輝幸」は真田方へ寝返り、岩櫃城城代に任命されました。


幸隆の羽尾氏に向かう感情は、戦で生じた恨みよりも過去の恩義が勝っていたのかもしれませんね。

家を建てるなら

今日は旦那の知り合いに建築中の家を見せてもらいに行ってきました。

この会社に頼んだらこんな風に家が建っていくのか。
なんとなく感じはつかめました。

帰ってきてから、マネープランを見直ししたり、子供の数をどうするかを真剣に話し合いました。


話し合いで一番問題となったのが、「床の間」は必要か否か。
私はいらないと思っていたのですが、あったほうが後々の生活ストレスが減るということがわかったので和室に備え付けることになりました。


予算やら、間取りやら、その後の生活やら、いろいろなことを考えて決めて行く作業を通して改めて思いました。

家作りって人生における大事業の一つだ。

何度家族間会議を開いたことか。

早く建築会社を一社にしぼって次の問題にとりかかりたいものです。

「田村 左次衛門 清隆」について

真田大阪陣略記より
「矢沢同心 『関山 源右衛門』
 祢津同心 『剣持 喜右衛門』
 木村同心 『廣田 岡右衛門』
 我妻(我妻)の五反田村 『左次衛門』
    
  忍びを能くして褒美を頂いた」


田村家の家系図より
 田村 雅楽尉 清宗――雅楽助 清興(吾妻七騎の一人)―・・・
              |   1600年2月6日 死亡
              ―左次衛門 清隆
              |   1619年6月10日 自害
              ―久五郎 重則 ―・・・
                  1670年5月19日 死亡

   左次衛門清隆 初真田左衛門に仕え元和元年大阪城に入る
          帰郷の後元和4年6月10日有事自殺

田村家の言い伝えより(口頭による伝承なので事実である可能性は低い)
  田村の家の人間は長野県から移ってきた。嶽山城攻めの際に間者としてよく働いた。長野県にある家は兄が継ぎ、弟である「雅楽尉 清宗」が五反田村に住み着いた。
 息子の清隆は大阪夏の陣で豊臣方に付いて闘ったが負けて帰ってきた。このときに
「武士をやめて百姓になる」
と言ったらしい。
 ある日、城から偉い人がやってきた。話をしていると、子供がぐずりだした。
いつまでも子供がぐずるので、「偉い人に無礼を働いてしまった。」と子供と嫁を切り、自分も自害した。
(話す人によって自害したのが清隆だったり久五郎だったりしています)

以上。


「雅楽尉 清宗」「雅楽助 清興」は真田昌幸に属して朝鮮出兵(田村家文書)や北条征伐(吾妻記)に参加し知行や褒章を頂いています。
 田村家はおそらく第二次上田城攻めの際に昌幸側に加担して後に帰農したのでしょう。
もう一度武家に取り立てられたいと願い、冬の陣で大阪城へはせ参じてみたが思ったような結果は得られなかった。ならばと夏の陣では徳川方の真田信吉隊に属してみたが召抱えてはもらえなかったのかもしれません。
帰郷して2年後に自害か・・・。

 「忍者であった」といわれている人物なので、その死に方を妙に勘ぐってしまいます。

家を建てます

来年中に家を建てることになりました。

そのため、私の考えること・することが大幅に増えました。
現在は旦那と一緒にライフプランとマネープランを作成中です。

何歳までに子供を何人産むか。
子供を育て上げるのにどれくらいお金がかかるのか。
老後はどうするのか。


子供に対してどういう親になりたいか。
自分は将来どうなっていたいのか。


うんうんうなりながら毎日考えています。
「自分がどうなりたいのか・どうしたいのか」
夢を見るのが下手な私にはとても難しい問いかけです。

自分を見つめなおす良い機会になりました。
家族が笑顔で暮らせる家を建てたいですね。

「真田藩政と吾妻郡」が届きました!

わかったこと
 「佐藤 豊後」「割田 下総」が討ち取られたのは、貧乏に負けて盗みを働いたから。仲間の吾妻衆に
『お前ほどの腕を持つものが何でこんなことしやがった!武士の誇りを忘れたか!』
と討ち取られてしまったのです。
   ↓
なぜ貧乏になったか
 関が原の戦いの時に真田昌幸方についたので戦後処理の時に帰農したから。関が原で西軍が勝っていたら、違う人生を歩めたのでしょうね。




わからないこと
 「田村 左次衛門 清隆」の自害の理由。本では貧乏のためかもしれないと書かれていたのですが、彼の実家はそこそこ金持ちです。
親である「田村 雅楽尉 清宗」の代から五反田村の庄屋のような立場の家で彼の甥っ子が後に五反田村村長になってます。
小作人をたくさん抱えていた家の人間ですので、一人ごくつぶしがいたってびくともしないのです。

やはり、大阪冬の陣で真田幸村方についてたのが原因なのかしら(大阪夏の陣では真田信吉の元で働きました)??
自害する前に家族を殺してるって話も不思議。
彼が自害する前に密談にやってきた「お城のえらい人」ってだれだったのかしら??

うう~~ん。謎が謎を呼びます。
近いうちに清隆についてわかった事をまとめてみたいと思います。
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