真田幸隆の甲府での屋敷

「一徳斎殿御事蹟」を眺めていて見つけた記述。

***
甲府御宅地
甲斐国史
・・・中略
元城屋町通ノ東 真田弾正、其東 甘利備前守 中略

***

甲府市内で真田幸隆の屋敷は甘利虎泰の屋敷と隣同士だった模様。

甘利家といえば武田家の古くからの家臣で「職」を勤めることのできる名家の家柄!

譜代の家臣が軒を連ねる高級住宅地に外様の真田家が屋敷を構えることができた。
すごいことです。
真田幸隆の実力が武田家の皆に認められていたということでしょう。

ご近所付き合いなどがあったのか気になりますね。

「真田一族」新紀元社

こちらで紹介されていた「真田一族」という本を読みました。

真田一族の進退と、周囲の状況がわかりやすく書かれていた本でした。
筆者の考えも面白く、長い文章も苦にならずにすいすい読めましたv

・石高制と貫高制の違いについて
・ご恩と奉公の説明
・武家のものの考え方
などもとてもわかりやすく説明されています。

歴史の流れの中の真田家を知りたい人にはちょうどいい本だと思います。

「加沢記」を読む中で、「その時」がどんな情勢だったのかを今までほとんどわかっていなかったので、大変参考になりました。

次は「戦国関東三国志 歴史群像シリーズ」を読みたいな~。

幸隆が箕輪を去る話(名将言行録より)

「双六の狂歌」で長野家の話をしたので、今回は長野業政の逸話を。

以下、名将言行録の意訳です。

***
長野家を出て武田家へ仕官しようと決めた幸隆は、密かに箕輪から去るために病気と偽って家に引きこもりました。
それを知った長野業政は
「今度の病気は普通の医薬では治らないでしょう。上州甘楽郡の峠を越えて良薬を探しなさい。早いうちがいいでしょうから今日か明日にも出発しなさい。」
と使いの者と馬を送りました。
幸隆はおおいに驚き、
「ありがたい申し出ですが、病気が思ったよりも重くてなかなか出発できません。」
と返事をしました。
すると長野業政は、
「病気が重いと伺いました。治療のためにも一日でも早く出発しなさい。」
と促したので、幸隆は次の朝出発しました。
すると、下仁田まで来たところで幸隆の家族や家具、家僕が馬で送られてきました。

***
甘楽郡の峠を越えたら信州です。ここだけ読むと、病気を理由にリストラされたようにみえますね。退職金は馬のようです(笑)

続き
***

長野家の使者は幸隆に手紙を渡します。
「貴方が我々の手の届かない場所まで行ったら渡せと殿からおおせつかりました。」
幸隆が手紙をひらくと

『甲斐に武田信玄あり。若いがまたとない武将である。ただし、箕輪に業政がいる限りは、碓氷峠を越えて(長野家の領内に入って)馬に草を食べさせようなどと思いなさるな。
速やかに本領へ帰れたならば、隣国としての付き合いを忘れることはあるまい。』

と細い字でつづってありました。
幸隆は長野業政に打ち明けて語り合うべきであったと恥じ入り、しばしそこにたたずんだのでありました。
***

去る者は追わず。
長野家家臣から見たら調度いい厄介払いだったんだろうな。

長野の人々、戯れて狂歌を詠む

一徳斎殿御事蹟より

真田幸隆が長野業政の食客となっていた時期の話です。
長野家の人々が信濃からやってきた幸隆達をネタに狂歌を詠みました。

双六の 初重 五の重と 


信濃衆は 引とハみへて 居られさりけり


意味がさっぱり解りません????

当時の双六というのは盤双六と言ってバックギャモンと似たルールだったそうです。「初重 五の重」は双六用語だと思われます。

引くとハみえて→引くと見せかけての意か?

居られさりけり→?


どうも文章の雰囲気からして、村上義清から逃げてきた滋野の一族をからかった歌のようです。

どなたか、意味のわかる方がいらっしゃいましたら教えてください!

謙信への贈り物

斉藤憲広から上杉謙信への贈り物

熊の皮 2枚

他にめぼしいものは無かったのだろうか・・・。ひょっとして岩櫃城名物だったのかしら、熊の皮。

上杉家からやってきた使者は「白布を20反」もらっている。
この白布が麻なのか木綿なのか絹なのかも謎。

もしも絹ならば(絹は上州の特産品)熊の皮よりもよっぽど価値があるような気がするのだが。

風流人羽尾氏が近くにいたら、もっとおしゃれな物を献上するように言ったかもしれない。


もらった熊の皮を謙信はどうしたんだろうなあ。

両親が帰りました

結局彦根城へは行けませんでした。残念。

両親が群馬に帰ったとたんに真夏日が襲ってきました。
現在の気温36度・・・暑い。

両親と一緒に群馬へ帰りたくなりましたよ。山間部は常に風があるので涼しいのです・・・。


ああ、唐沢杢之介がうらやましい。

<メモ
唐沢 杢之助・・・元斉藤家家臣。唐沢玄蕃の父。永禄6年の岩櫃城攻めの時に真田家に寝返る。永禄8年 嶽山攻めに参加して戦死 居住地 沢渡村



そう、彼が住んでいた沢渡には沢渡温泉があるのです!

この温泉は重曹泉というタイプでして、お湯につかると芯まで温まり、出るとものすご~~~くさっぱりするのです!風呂上りの涼しいことと言ったら言葉で表せませんよ(ため息)
別名美人の湯!

唐沢杢之助・玄蕃親子が沢渡のどのあたりに住んでいたかまでは解りませんが、こんな暑い日には家族揃って温泉に行って涼んでいたに違いあるまい!

温泉を知行としてもらっている武将っていいな~~~。
温泉に行きたいな~~~。

掃除掃除掃除・・・

週末に両親を泊めるため、大掃除を開始しました。

と、いうわけで週明けまでネットにつなげません。

19日には何か更新したいです。

大戸氏も中々やるなあ

リンク先の上州一揆様のブログを読んで、大戸氏の身の振り方に感動しました。

北条家に人質だして、上杉家に従って、武田家にも属してしまって。
周囲の大勢力全てにいい顔をして生き抜くしたたかさ!
「自分の家を守る」ために情報力と判断力を駆使して生き抜いてきた様子に男らしい(父親らしい?)かっこ良さを感じました。


「群馬県史」の誤りが早く訂正されるといいなあ。
私のように興味本位で史料に手を出している人間が読んだら確実に誤りを覚えてしまいますよ。
群馬県さん、よろしくお願いしますね。

鳥人間コンテスト

それは電話のベルから始まった。


てるてる「もしもし?」

実母「あ、てるてる~?お父さんと一緒に鳥人間コンテスト見に行くか  らお前のうちに泊めてね。」

てるてる「いいよ~。いつくるの?」

実母「16日の真夜中に車で出発して、17日の人力飛行機を見てからそっちに行くよ。

         ※父母とも50代後半です。

てるてる「(車で貫徹!)・・・16日の昼間に高速とか、新幹線とか使ってこっちにくることはできないの?」

実母「新幹線じゃつまらない!自分の車でドライブするのが楽しいんじゃない。昼間は混むから嫌。」

てるてる(・・・私はもう、貫徹できないのになあ・・・)


実母「お前も旦那と一緒に会場へおいでよv 待ってるから!」

と、いうわけで17日に鳥人間コンテストを見るために彦根市まで行ってきます。

17日の彦根市で上州弁を喋る怪しい3人組+1名をみかけたらそっとしておいてくださいね。

ミュージックバトンを受け取りました。

ミュージックバトンなるものが回ってきましたv
では早速答えます!

・コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量
 5.1MBくらい
 ほとんどが旦那のファイルなので、自分のファイルは600KBほど。

・今聞いている曲
 最近良く聞くのは某「地球侵略にきた宇宙カエル」の主題歌である『ケロッとマーチ』
 もう可愛くて可愛くてv

・最後に買ったCD
 自分1人で最後に購入したのは「LORD OF THE RINGS」のサントラ。
 一番最近購入したのは、旦那と共同購入した「Ys~フェルガナの誓い」のサントラ。

 夫婦そろってオタクです。はい。

・よく聞く、または特別な思い入れのある5曲
 特別な思い入れのある曲というと・・・
 1.KUSUKUSUの「すべては自然の中」
 2.KUSUKUSUの「月あかりだけで登る山」
 3.Boys To Menの「ベンデッド ミー」
 4.スターダストレビューの「木蓮の涙」
 5.ADIEMASの「聖なる海の歌声」

 もう一つ入れてもいいなら
 ウェイリング・ソウルズのカバーした「I can see Clearly now」
 
どれも繰り返し聞いた名曲です。

・バトンを渡す5人
 ここでバトンを落としたいと思います。
 バトンを受け取るのは本当に嬉しいし楽しいのですが、WEB上でのお知り合いがまだ少ないので。

N様、楽しいバトンをありがとうございましたv

吾妻七騎のリストを公開しました!

とりあえず、名前だけ公開しました。
各人物についてはこれから調べます。

多分、
「その1」の人たちが幸隆・信綱の下で働いていた人たちです。
唐沢玄蕃や富沢豊前が「長篠の合戦」に参戦しています。


彼らについての情報を募集中です!

七夕

今日は七夕でしたね。
私の実家(上州の北部)では何故か8月7日が七夕でした。
毎年、家の裏から竹を切ってきて飾りました。葉の部分は七夕飾りにして、残りの部分は割って庭で流しそうめんをやりました。
楽しかったなあ。

七夕飾りは最後に川に流して見送ったり、家の裏で燃やしたりしていました。

あの頃の願い、何かかなったかな?

・・・

頂いた「一徳斎殿御事蹟」をやっと読むことが出来ましたv

真田幸隆が「海野幸義」と仲良かったり悪かったり、「海野棟綱」が早くにお亡くなりになっていたり一緒に上州へ逃げてたり、文献によって随分と話が違いました。

女神の話も全文を読めて満足v
真田幸隆が板垣信形を助ける逸話も面白いv

そして・・・あちこちに「長野 業政」の名前が!
幸隆を語るのにはずせない大恩人ですよねv
史料が少ない方なので、名前が出てくるだけでもう嬉しくて嬉しくて。
またじっくりと読もうと思いますv

ちょっと忙しいです。

すみません。お返事は明日か明後日します。

うひょ~~~vvvv

リンク先のHP『玉姫街』の和泉様から
・幸隆御事蹟
・信綱(&昌輝&信尹)御事蹟

のデータを頂きましたvvvv

これで謎だった「幸隆が女神から枡をもらう話」が読めます!
嬉し~~~~~~~~~vvvvvv

真田家の面々の変な逸話も載っているとのこと!
面白い話があったら簡単に意訳して日記に載せようと思います。

和泉様、本当にありがとうございました!
さ~て、これからじっくりと読むぞvvvv

割田下総のこと

吾妻七騎の中で次に名前が売れているのは割田下総だろう。多分。

数々の戦に参加したけど、なぜかいつも貧乏だったらしい(きっと博打好きだったのだろうと勝手に思ってます)。
大阪夏の陣の後で盗人に転職し、忍者仲間に討たれるという悲劇な最後を遂げる男。

詳しくは紹介ページに書きます。

某漫画の後書きで、「真田十勇士の『霧隠才蔵』のモデルはこの割田下総ではないか?」と書かれていたけどどうなんでしょうね?

割田下総→霧隠才蔵
ならば
唐沢玄蕃→猿飛佐助
と、妄想してもいいでしょうか?

唐沢玄蕃のこと

吾妻七騎の中で最も名前が売れているのは『唐沢玄蕃』だろうと思う。

出版社から出ている真田関係の本に真田忍者として名前が記載されていることが多いし、最近はK○EIのゲームにも脇役として登場している。


唐沢玄蕃・・・斉藤家家臣 唐沢杢之介の次男 
       幼名は『お猿』
       父の戦死後(嶽山合戦の後)、家を継ぐ。
      
       真田昌幸に仕え、数々の合戦に出陣。忍び込みや火付けを得意とした。
       妻は割田下総女

       吾妻郡中之条町沢渡の出身


そう。彼は群馬県吾妻郡の出身なのです。

なんで「信○の野望online」で伊賀忍者になっているんですかね。K○EIさん・・・。
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