花粉症がひどくなりました

北海道から帰ってきたら花粉症がそれまでの倍ひどくなりました。

鼻水が・・・鼻水が・・・。頭がぼーっとして目が痒くて、マスクをのど飴を手放せません。
花粉症ってこんなに辛いものだったのね!
と先週までの自分を羨ましく思っています。


最近、名将言行録を読んでます。
図書館で取り寄せてもらったのですが、内容がほとんど古文で書いてありました。現代語訳って出版されてないのか?
読むのにやたらと時間がかかって困ってます。


真偽の程ははっきりしませんがいろいろな逸話がものすごく面白いのです。
・信玄がお気に入りの木馬に話しかけられた
・信玄が手飼いの忍者に謀反おこされた
・馬場信房が寺の小男に扮装してスパイしていた
・板垣信形が信玄をいさめるためだけに和歌の修行に通った
・真田幸隆は長野業政を尊敬していた
・高坂昌信は武田家小姓のお兄さん的な役割だった?

武田家と真田家と長野業政の載っている巻だけ買ってじっくり読もうか検討中です。

北海道へ行ってきました

旦那と旦那の友達と北海道へ春スキーへ行ってきました。


いやあ、花粉のない世界はいいですねえ。
すがすがしい空気を思い切り吸い込むことが出来ました。

スキーは大変楽しかったのですが、往復の行程と宴会で緊張してとても疲れました。
私は大勢の中に溶け込むということがとても苦手です。
(場をしらけさせる名人とも言う)
空気を読むということがとても下手。
相手を突き放す話し方がとても得意です(自慢にならない)。
 

一緒に旅行した皆様、気を使わせてしまってごめんなさい。


『人と楽しく付き合う』
これが一生涯の目標です。


自分がこんな性分なせいか、人付き合いの上手そうな戦国武将に憧れます(羽柴秀吉とか、島左近とか)。


今、一番興味を引かれているのが「長野 業政」。
烏合の衆になりがちな上州の豪族をまとめ上げ、武田・北条の八年に及ぶ侵攻を跳ね返した名将です。
連歌を愛した文化人でもありました。
関東管領家に忠誠を尽くし、民を大事にした政治を行ったため江戸時代になってからかなり人気が出た模様。江戸時代初期に発行された怪談集「伽卑子」に登場する長野業政はかっこいいです。
明治時代に発行された「名将言行録」の長野業政のエピソードも、読むと惚れますよ!



今度、上州に里帰りしたら箕輪へ行っていろいろ調べたいですね。




滝沢の演じる「義経」の魅力は・・・

「無邪気」なのかなあと思う今日この頃。
清盛に、秀衡に「父親」を見ようとする義経。
大きな夢を持った大人が好きな義経。



共に暮らし続ける実の子供ならば親の嫌な所もいっぱい見てしまうから嫌ったり、反発したり、諦めたりもするけれど「義経」にはそれがない。
「義経」にあるのは
「あのお方は素晴らしい。」
という想いだけなのかもしれない。


純粋に憧れの視線を向けられることに男性は弱いのだろうか?


大事な屏風に落書きされてもあっさりと許してしまう清盛。
元服の話を人づてに聞いただけで息子と思ってしまう秀衡。
二人ともやたらと義経に甘い。
私が彼らの息子なら絶対に義経を嫌うだろうなあと思ってしまうくらい贔屓している。


義経が最後に滅びるのは、実子の嫉妬も原因の一つなんだろうな。





武田家の二代目『猛牛』と馬糞の関係

武田家には『猛牛』の異名をとる『甘利 虎泰』という猛将が居ました。その猛牛甘利の跡取り息子のお話です。

*******


『甘利 昌忠』は父・虎泰の死後、数々の合戦に参戦して武名を上げていました。
 さて、永禄6(1563)年、昌忠は武蔵の松山城攻めに参戦しておりました。武田・北条連合軍の攻撃に対して敵はしぶとく反撃を繰り返しておりました。
その時、敵の鉄砲の一斉射撃を受けて家来の『米倉 彦次郎』が負傷しました。
『甘利 昌忠』が急いで駆け寄り怪我の様子をみると、なんと腹を打ち抜かれています!
 
甘利 昌忠 :「葦毛の馬の糞を水に溶かして持ってまいれ!」
家来1   :「殿、持ってまいりました。」
甘利 昌忠 :「さあ、彦次郎。薬が出来たぞ。この馬糞汁を飲むのだ。」(柄杓にすくった汁を彦次郎に突きつける)
米倉 彦次郎:「いやです!」(顔を背ける)
甘利 昌忠 :「我侭を言うな。死にたくなかったら飲むのだ!」
米倉 彦次郎:「い~や~で~す。そんな物を飲んで命を取り留めたなんて噂が立ったら武士の恥です。己は恥よりも死を選びます!」
甘利 昌忠 :「生きて主君に仕え、高名を分捕るのが武士の本分と言うではないか。馬糞汁を飲んだという汚名よりも命を永らえて主君に忠節を尽くすことを考えよ。似たような事をした人が中国にもいるではないか。」
米倉 彦次郎:「いやなものはいやです!私は死にます!」
甘利 昌忠 :「・・・そうか。ならば」

そういうと『甘利 昌忠』は柄杓の中の馬糞汁を二口飲んで見せました。

家来達:「うわ!」「まじ?」「きったね~~!」

甘利 昌忠 :「ふむ。良い味だぞ。」

上司にここまでされたらさすがに断れません。『米倉 彦次郎』は泣く泣く馬糞汁を飲んだのでした。

その後、『米倉 彦次郎』は一命を取りとめ『甘利 昌忠』の名声は天下に響いたのでありました。

*******


武田も北条も敵も『甘利 昌忠』の行動に余程びっくりしたのでしょう。このお話は「甲陽軍艦」と「関八州古戦録」に載っているそうです(会話は文献を元に管理人が創作しました)。

この馬糞汁は《腹部の傷の特効薬》なのだそうですが、一般的な薬だったのか、甘利家に代々伝わる秘伝の薬だったのかはわかりません。

大河ドラマ

義経の元服シーンを見ながらの旦那との会話。

旦那  :「来年の大河って山内一豊だっけ?」
てるてる:「そうだと思うけど」
旦那  :「・・・大河で長野業政をやったら嬉しい?」
てるてる:「そりゃもちろん!でも長野さん知名度低いからなあ。大河は無理でしょ。」
旦那  :「上泉信綱なら知名度あるけどなあ。」
てるてる:「いいねえ。上泉さん主役なら放浪時代にいろんな武将を出せるし。長野さんと上杉景勝の登場が確定するしね。」
旦那  :「景勝よりも直江兼続が主役のほうが見てみたい。それから南部さん。」
てるてる:「南部って青森の人だっけ。」
旦那  :「そうそう。せっかくNHKでやるんだからもっとマイナーなのやってほしい。尼子とか、竜造寺とか、鍋島とか、大友宗麟とか、島津義弘とか。」
てるてる:「(九州勢ばっかり・・・)確かに島津4兄弟は魅力的だけど・・・島津藩は『翔ぶが如く(西郷隆盛と大久保利通の話)』でやってるから難しくない?」
旦那  :「なら〝平田 鞭衛〟さんは?」
てるてる:「平田さんも島津でしょうが。江戸時代の初めだからなあ。2時間ドラマなら可能性あるかな?」

     ・・・延々と続く「やって欲しい大河ドラマ」談義

てるてる:「あれ?いつのまにか平泉に着いてない?」
旦那  :「あ、南原が仲間になってる。」

こんな私達ですが、大河ドラマ義経を毎週楽しみにしています。

ひな祭り

今日はひな祭りでしたね。
皆さんはお雛様を飾りましたか?うちは飾ってません。


現在のようにお雛様を飾るのは江戸時代に入ってからの風習だそうです。

それ以前はどうしていたかというと、

「紙人形に穢れを移して川に流す」

という流し雛が一般的だったそうです。

どうやって穢れを移していたかというと、まず紙人形を体にこすりつける。次に紙人形に息を吹きつける。
これで良いそうです。



人々の穢れを移された紙人形が流れ着く先は海です。
穢れの溶け込んだ海で育った魚を食べていたから北条家や豊臣家は・・・。
冗談ですよ。信じないでくださいね!

プロフィール

てるてる

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
RSSフィード
リンク
TweetsWind