最近、ヘタリアという漫画に登場する「プロイセン」というキャラクターに嵌っていまして、ちょろちょろと「プロイセン王国(昔ヨーロッパに存在した国です)」の歴史を調べています。

そのプロイセン王国で最も有名な王様「フリードリヒ大王(フリッツ親父)」について調べていたら・・・。
・フリッツ親父は父親に虐待されていた(廃嫡されそうになったこともある)。
・フリッツ親父は文学青年で自作の詩集を作っていた。
・犬が好きで飼っていた
・・・・・・・・・・・・この3点を読んで即座に武田信玄公を連想してしまいました(汗)。

いや、御館様と違う所のほうが全然多いんですけどね!
タバコ飲んでたり、トウガラシ入りコーヒーが好きだったりとか、女性にあまり興味がなくて子供を作らなかったとかね!!

ああ、でも戦上手で内政上手という所も共通点だなあ。

洋の東西を問わず、偉人というのは共通点があるものなのかなあ。
2007.03.25 戦国バトン
yuka様の所で拝見した戦国バトン。「ご自由にどうぞ」とのお言葉に甘えてありがたく頂いてきました。

01.あなたの戦国時代の知識源はなんですか?
TV番組・インターネット・各地の民俗史料館・史料や論文・小説や漫画を含む書籍・昔話や民話・地図や地名・写真や実際に見た地形・山や古道を歩いた感触・古寺や神社や城跡の感触・郷土食・和菓子・茶・昔の着物・地方の特産物

歴史のあるお店を覗くとパンフレットに色々書いてあって参考になります。
屏風絵も想像を膨らませるのに重宝しています。

いろいろなモノをまず丸呑みにして後から取捨選択しているので、考えがごっちゃになっていることが多いです。

02.好きな戦国武将を挙げてください。(複数回答可)
一番は「真田 弾正忠 幸隆」公。継いで真田一族とその家臣。
武田信玄とその一族とその家臣。

特に好きな人達はこの辺ですね。

03.上に挙げた中であえて選ぶとするなら最も好きなのは?
「真田 弾正忠 幸隆」公
私が戦国時代に足を踏み入れるきっかけとなった人。
『好き』の理由をあえてつけるとするならば、『自力で帰って来た人』だから。

最近、幸隆のイメージが指輪物語の馳男に重なってしまい困っています。

04.また逆に、嫌い(好きになれない)な戦国武将は?
05.その中で、最も嫌い(好きになれない)な武将は?
嫌いになるほど知っている人物がいません。
皆さん遠くて遠くて。

06.この人にはもっと長生きして欲しかったなぁ、と 思う武将は?
真田信綱が生きていたら、その後の真田家はどうなったのかな。
昌幸は兄の下についたのだろうか?他家についたのだろうか?それとも独立の道を歩んだのだろうか??

07.アツいと感じる合戦は?
川中島ですね。よくもまあ、何回も繰り返したもんだと。

08.あなたは自分が、信長、秀吉、家康の誰に一番似ていると思いますか?
 突然怒りだす様は信長に似ているとの旦那の弁。
 
09.もし自分が戦国武将だったら、どんなタイプの武将だと思いますか?
 戦場にて一騎打ちを所望する猛将タイプかと。

10.戦国時代をぜんぜん知らない人に勧めたい書籍、マンガなどありますか?

・みなもとたろう先生の「風雲児達 1〜2巻」
  これを読ませて戦国知らずの母と妹を薩摩家のファンにしました。

・山田芳裕先生の「へうげもの」
  なにも知らなくても笑えると思います。物のまわりで踊り狂う武将達が見事。

11.そろそろ答えるの面倒になってきましたか?
いえいえ。まだまだ行けますよ!

12.最後に、あなたにとっての「戦国時代」とは?
 遠いけど確実に繋がっている場所。
 遠いゆえにいくらでも想像できる場所。


バトンやドラマの感想を書くのは、いままでとは違う自分の一面が見えてきて面白いですね。
このバトンは置いておきますので欲しい方がいらっしゃいましたら後自由にどうぞv
由隆様から「貴方のことを教えてくださいバトン」をいただきました。

早速答えますv

■渡してくれた方の第一印象は?
 「何て美人な幸隆公を描く方なんだろう(ため息)」
 勇気を出して掲示板に書き込みして本当に良かったv

■貴方のHNを教えてください。
 「てるてる」です。なんとなく明るい名前にしてみました。

■他のHNを名乗っていますか?(又、名乗っていましたか?)
 昔、別のHNを使っていたことがあります。
 「てるてる」で不都合が生じたらそちらのHNに戻すかもしれません。

■貴方の実年齢を教えてください。
 0〜100歳の間です。

■(オンで)よく間違われる年齢を教えてください。
 女性に年を聞くものではありませんよ(笑)

■受験の方は・・・
 かなりまじめに勉強してましたね〜。懐かしい。
 合格発表の日に
 「姉貴、桜散るってハガキ着た?」
 と弟に聞かれたのは忘れられない思い出です。

■家族にしてみたい好きなキャラを教えてください。
  お題⇒『戦国』
  父 母 姉 兄 弟 妹

 これ、面白い質問ですね!考えている間ずっと幸せでしたv
 かなり妄想交えて語っているので隠します。
 どんな妄言でも笑って許せる方は下の方をクリックしてください。

■できれば住所なんかも・・・
 銀河系太陽系第三惑星地球日本国関西地方のどこかに住んでます。

■オフしたことのある方を教えてください
 和泉様、その節は彦根城でお世話になりましたv

■バトンタッチ(&お題提供)お願いします
 ここでストップさせていただきます。


由隆様ありがとうございました!


 
え〜妄想を語りたい気分なので語ります。

吾妻記という史料に
「真田昌幸が便所から下した密命を木村という小姓がこっそり聞いて、命令を下された人よりも先に命令を遂行してしまった。怒った昌幸は木村を100日間閉じ込めた」
という逸話があります。

(リンク先のHP「玉姫街」の和泉様がこの逸話を素敵な漫画になさっています。「玉姫街」はこちらです

古来から布団の中・風呂・便所は考え事に適した場所として有名ですが果たして(昔懐かしの)ぼっとん便所で長時間考え事ができるのでしょうか。
実家の便所がいまだにぼっとんである私は、難しいと考えます。
まず臭い。夏場に長時間こもるのは自殺行為です。
次に寒い。冬場に長時間こもったら凍死します。
そして狭すぎる。不用意に動けば落ちてしまうし、長時間座り込んでいたら足がしびれます。

以上の3点から、昌幸が命令を下した便所とは、「おまる」の置いてある小部屋であったと推測します。
「おまる」を使用しなければ臭いも無し。足元に敷物を敷けば寒さもしのげるし横になることも可能。一日こもっていても多少はうろうろできるし落ちる心配も無し。

さて、「昌幸専用おまるの部屋」にこもってしまった昌幸を探りにやってきたお小姓 木村さん。彼はどのようにして昌幸の密命を盗み聞きしたのでしょう。

私は「おまるの部屋の前に堂々と待機していた」説を唱えたい。
右手に換えのおまる。左手に補充用の便所紙を持ち、「昌幸専用おまるの部屋」の入り口に座り込むのです。

誰か城中の人間に見られても、
木村「昌幸公の命にていつでも紙を差し出せるよう待機しておりま     す。」
と言えば皆(ああ、お仕事熱心だなあ。)と思うでしょう!
昌幸本人に見つかっても
木村「換えのおまるをお持ちしました。」
と言えば(小姓の仕事を遂行しているだけですので)昌幸も咎めることはできないでしょう。

日本建築は隙間だらけですので、便所の扉に耳をくっつけなくても中の物音は聞こえます。昌幸が声を発すればすぐにわかるでしょう。

真田家の家臣団は昌幸が木村さんの企みに気付くまで二人を暖かく見守っていたらいいなと思います。

以上、妄想終了。あ〜〜〜すっきり。
真田町 赤井には「なんじゃもんじゃ」と呼ばれる木があるそうです。

その姿は
「欅(けやき)に似て欅(けやき)に非ず、秋楡(あきにれ)に似て秋楡(あきにれ)に非ず」

占いや祭事に使われていた木だそうです。

「なんじゃもんじゃ」の木が生えている赤井は
この辺だと思われます。

真田本城や屋敷跡から1Kmも離れていない場所なのでしょう。


500年以上前にもその木は存在していたかもしれない。
ついつい想像してしまいます。

「不思議な木があるんだって!」と連れ立って冒険に出かけるお子様の姿を。
木の根元で思い出話にふける大人達の姿を。


「なんじゃもんじゃ」とは「どんな問いにも答えましょう」という意味があるそうです。
その木に、その枝に、その葉に、問いかけを発した人がいるかもしれない。

どんな場所にどんなふうに立っているのか、一度見に行きたいものです。
ゲームメーカーK○EIから「戦国無双2」が出るそうですね。

今度の舞台は関が原が中心になるそうな。

使用できる武将は前作からの持ち越しもあるそうで、「真田幸村」は今作も登場できるようです。

と、いうことは今作でも真田家家臣がモブ武将(プレイヤーが操作できない武将)として登場するのですね。

前作「戦国無双」では真田家家臣として以下の5人が登場したようです。
・矢沢頼綱  (真田幸隆の弟)
・矢沢頼貞  (↑の息子)
・金子美濃守 (沼田衆)
・富沢伊予守 (吾妻の岩下衆 吾妻七騎の一人)
・唐沢玄蕃  (吾妻七騎の一人)

今度はもうちょっと実在した真田忍者が増えるといいな。
吾妻七騎全員出せとは言いませんが、少しくらい増えてるといいな。
たとえば、
・出浦対馬守・・・昌幸に仕えて忍者の養成に務めた。自身も優秀な忍術の使い手であったらしい。
・横谷左近・・・出浦と並んで忍術の名人だったらしい。
・割田下総・・・武辺しのび
・来福寺左京・・・出浦と共に忍者の養成に務めた。

この4人なら「唐沢玄蕃」くらいの知名度があるはず。

ゲームに登場する→知名度が上がる→興味を持つ人が増える→調べる人が増える→新たな事実が発覚!
というふうにならないかな。なったらいいな。

ちなみに、私には戦国無双2を買う予定はありません。
発売されたらネットでモブ武将名をチェックしようと思っています。
今日は旦那に包丁を研いでもらいました。
そのときの会話です。

てるてる:「槍や刀の研ぎ方も包丁と一緒なのかな?」
旦那  :「基本は同じだと思うよ。」
てるてる:「武士って自分の獲物を自分で研いでたのかな。」
旦那  :「う〜ん。大名とか領主クラスだったら専門の研ぎ師がついてたんじゃないのかなあ。」
てるてる:「じゃあ、信玄や謙信クラスは自分じゃ研げないんだ。戦の時には後ろの陣に専門の研ぎ師が控えてるわけね!」
旦那  :「いや、てきと〜に言ってるだけだから信じないで。」
てるてる:「でもさ、幸隆とか内藤昌豊とか諸国を流浪した経験のある人たちって刀を研ぐのもお裁縫も上手そうだよね。」
旦那  :「なんでお裁縫?」
てるてる:「流浪の身じゃあ繕ってくれる人と一緒にいられる機会も少ないでしょう。お金も持ってないだろうし。ならば自分でやるしかない!」
旦那  :「・・・。」
てるてる:「島左近とか、後藤又兵衛とかもお裁縫上手そうだね。他に浪人生活長かった人は〜v」
旦那  :「・・・好きに妄想してください。」


身の回りのことを他人に委託できる人間なんて一握りしかいなかった時代だから、本当は皆さん自分のことは自分でできると思うのですけどね。
アホな話に付き合ってくれる旦那に感謝!
芋虫・毛虫・蛾が苦手な人は読まないことをお奨めします。









うちで食べているお米は私の実家の米です。
一回に付きに30Kg程の玄米を送ってもらい、夫婦で少しずつ食べています。

その玄米に・・・虫が湧きました。蛾と芋虫がたくさ〜ん。
関西の夏は暑くて湿っぽいからしょうがないんですけどね。



私の実家は米農家です。昔は養蚕も兼業していました。
と、いうわけで私は「芋虫」や「蛾」の類に対して嫌悪感をもっていません。

今日も日陰に米を干して芋虫退治にせいをだしました。(ちなみに旦那は虫関係が苦手なのでノータッチ)


米粒の中にまぎれている芋虫を選り分けながら思い出したのは、「武田4名臣」の一人「内藤 昌豊」が『小荷方役をやるのは嫌だ』とだだをこねるエピソードでした。

はじめてこの話を知ったときは、「なんちゅうわがままなやつだ。」とおもったのですが・・・・・・内藤さん。今なら貴方の気持ちがわかる気がします。

小荷方役はやりたくない!(特に夏場!)


同僚やら仲間が戦場で華やか(?)な功績を挙げているというのに、自分は後方で米にたかる芋虫と格闘なんて・・・。
米に虫がたかるのは自分のせいではないのに、あちこちから文句をいわれるなんて・・・。

雑兵やほかの将達が食べる米ならばまだいい。御屋形様の食べる米に芋虫が入ってた日には、どんな悲劇が起きることやら・・・・。

報酬が少なく、責任の重い役ですよ。小荷方は・・・。


内藤昌豊に深く同情した一日でした。
2005.09.01 城虎丸のこと
・城虎丸メモ
岩櫃城主「斉藤憲広」の4男。嶽山城城主(城代とも伝えられる)。
真田幸隆に嶽山を攻められたさい、嶽山の北にある大天狗の峰から飛び降り自殺。紅顔の美少年だったと伝えられる。
享年18歳


最近、ずっと城虎丸のことを考えていました。
史料があまりないのでほとんど妄想ですが。


10代で城主の癖に幼名しか残ってないって変じゃない?
果たして彼が城をしきっていたのだろうか?
何で落城の時に父や兄と一緒に切腹しないで1人で逃げたの?

***

私は嶽山に何度か登ったことがあるのですが、館跡(御城の平)から大天狗へ抜ける道の途中に2つ山を降りる道があるのですよ。
一本は東登山道を下って山の南東へ下りる道。
もう一本は大天狗の北の「五郎太郎岩」から山の北東側へ降りる道。


城虎丸は「五郎太郎岩」から北に山を降りて、大道峠を越えて、三国峠を越えて、越後へ逃げようとしていたのではなかろうか?
真夜中の突然の火責めにパニックに陥っていたのではなかろうか?
逃げる途中で真田の兵に追われて道を間違え、大天狗に追い詰められたのではなかろうか。

追い詰められて、「敵に首を渡すくらいなら」と飛び降りたのか、それとも足を滑らせたのか・・・敵に突き落とされたのか・・・。


真田幸隆の嶽山城攻めには、元斉藤家の家臣が大勢参加していた。
昨年まで味方であった者達が自分を殺そうと追いかけ迫ってくる。

真夜中の暗闇の中、山の麓だけが火攻めで明るい。
そして自分を殺そうと迫ってくる知った顔の男達。

・・・恐ろしや・・・


嶽山城落城の後、新しく嶽山城主となったのは元斉藤家家臣の「池田佐渡守」であった。
嶽山の城下町はたびたび市が開かれるようになり、「割田千戸」と呼ばれるほど人が集まり発展していった。


嶽山攻めの死者達が弔われたのは江戸時代になってからだという。
今でも山のあちこちに観音像が置かれている。

***
最近、嶽山の観音像を盗んでいく不届き者がいます。
嶽山に存在している全てのモノは過去からの遺産であり地域の人々の「霊山嶽山」に対する祈りの結晶でもあります。

どうか、そんなことをしないでください。


それから、嶽山でロッククライミングの練習をなさっている方々へ。
お願いです。岩に登山用具を打ち込まないでください。
貴方方が打ち込んだ用具が原因で岩が崩れ始めています。
嶽山の麓で生活している人々の家へ、岩が転がり落ちる危険が高まっています。
どうか、どうか、お願いします。


嶽山を壊さないでください。
吾妻七騎の中で次に名前が売れているのは割田下総だろう。多分。

数々の戦に参加したけど、なぜかいつも貧乏だったらしい(きっと博打好きだったのだろうと勝手に思ってます)。
大阪夏の陣の後で盗人に転職し、忍者仲間に討たれるという悲劇な最後を遂げる男。

詳しくは紹介ページに書きます。

某漫画の後書きで、「真田十勇士の『霧隠才蔵』のモデルはこの割田下総ではないか?」と書かれていたけどどうなんでしょうね?

割田下総→霧隠才蔵
ならば
唐沢玄蕃→猿飛佐助
と、妄想してもいいでしょうか?